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臺東天后宮

清朝政府によって建てられた台湾東部で唯一の寺院
臺東天后宮
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所在地: 台東県台東市中華路一段222号
経 緯 度: 121.15498,22.75724
料金: 無料
利用できる日:
通年
利用できる時間帯:
午前5時30分~午後10時
主催機関: 台東天后宮
関係機関のURL: リンク
E-mail: 2010mazu@gmail.com
お問い合わせ: (089)310-120

景観の価値

台湾東部で唯一天上聖母(媽祖)を祀る官廟で、厳しい開拓の時代に早期の移民集落において強固な団結を築く働きを担いました。廟内には清朝の光緒帝から反乱の平定後に賜った扁額や媽祖田の石碑などの古物が保存されており、台湾東部の開発の歴史において重要な地位を占めています。日本統治時代に皇民化運動が推進される中でも天后宮は漢民族文化を守り、台東天后宮によって始められた台東元宵節神明巡行は現在まで続けられており、12年に一度の大型祈安清醮(幸福を祈願し、神様に感謝する道教の宗教儀式)は台東市の重要な祭典行事となっています。

歴史と沿革

1875年、清朝政府は台湾東部に卑南庁を設置し、1884年、提督の張兆連(生没年不詳)は鎮海後軍を率いて現在の台東市中華路に拠点を設けました。1888年、台東地区の原住民は水尾墾撫局の委員による各地での田畑の測量と税の徴収があまりに厳しすぎることに不満を抱き、大庄地区の客家人・劉添旺(生没年不詳)の呼びかけで付近の開拓移民と平埔族が団結して「大庄事件」と呼ばれる反乱を起こし、その被害は台東地区に広がっていきました。決起した人々は官庁に火を放ち、300人にも満たない官兵は17日間包囲されることとなり、援軍が到着したことでようやく包囲が解かれました。1889年、媽祖のご利益に感謝した提督・張兆連などは、俸給として支給された養廉銀を進んで寄付し、廟の建設を提唱しました。翌年の春に建設工事が開始され、台南祀典大天后宮から分霊を迎え、1891年に工事が完了し、台湾東部で清朝時代唯一の官廟となりました。天后宮はもともと現在の和平街の東禅寺の所在地に建てられていましたが、日本統治時代の1930年に台風と地震によって損傷し、地元の人々から現所在地の土地が寄進されて募金が集められ、3年を費やした工事が1933年に完了しました。その後も幾度もの改修が行われ、1981年に牌楼、康楽台、鐘鼓楼などが建てられたことで現在の外観が築かれ、2003年には台東県の歴史文化建築に指定されました。

特色あるナビゲーショ

臺東天后宮平面図で標示臺東天后宮各ガイド項目、ガイド項目4ページ、詳しいコンテンツは下をご覧ください。
1「霊昭誠佑」と「霊助平蛮」の扁額

「霊昭誠佑」と「霊助平蛮」の扁額正殿には清の光緒帝から賜った「霊昭誠佑」の扁額と提督の張兆連から贈られた「霊助平蛮」の扁額が掲げられています。「霊昭誠佑」は大庄事件の平定後に天后宮が建てられた際、張兆連が扁額の授与を光緒帝に願い出たことで贈られたもので、当時扁額が台東に送られて来た際、台東には港がなかったため、船舶は全て成功小港に入港していた上、小港にも天后宮があったことから、輸送担当者は誤って小港天后宮に扁額を届けたものの、そのことに気づかず、台東天后宮ではどれだけ待っても扁額が届かなかったため、改めて扁額の授与を願い出たという話が残されています。また、「霊助平蛮」の扁額はもともと張兆連が反乱の平定における台南祀典大天后宮の媽祖のご利益に感謝して台南祀典大天后宮に贈ったものでしたが、2010年に2つの廟の間で交流の強化が図られた際、この扁額の複製が台南祀典大天后宮から台東天后宮へ贈呈されました。

2媽祖田の石碑

媽祖田の石碑廟内にある媽祖田の石碑には100年以上の歴史があります。天后宮の完成後、提督の張兆連は天后宮が運営を続けていくための収入源を得られるよう、池上郷大坡村にある義田を媽祖田として小作農に貸し出し、天后宮に小作料を納めるようにしたことが媽祖田の始まりで、媽祖田の石碑は漢民族による台東開拓の歴史の証明でもあります。

3昭忠祠の文将軍と武将軍

昭忠祠の文将軍と武将軍右護室の昭忠祠はもともと埤南宝桑庄の東海岸にあり、1881年に埤南庁の南路理番同知を務めていた袁聞柝が台湾東部の開発の過程で命を落とした先賢と烈士を記念して建てられ、その位牌を祀ったものでした。しかし、後に祠が倒壊したため、1893年に祠の中の位牌が媽祖廟のそばに移されて祀られることとなり、その後、祠の建設と日本統治時代の皇民化運動による取り壊しを経て、日本統治時代の1933年に台東天后宮が現所在地に移転された際、配祀として祀られることとなりました。殿内には文将軍と武将軍が祀られ、文将軍は清朝時代の海防同知・袁聞柝(1822~1884)、武将軍は当時暴徒に包囲された鎮海後軍提督・張兆連であり、2人は天后宮と深い関わりがあることから、信徒によって祠に祀られることとなりました。

4元宵節の巡行

台東県で元宵節に催される「元宵神明巡行」の起源は日本統治時代に遡ります。当時は衛生環境が悪く、疫病が絶えなかったため、台東天后宮では主祀神である媽祖、海山寺の観世音菩薩、福安宮の福徳正神、天官堂の白仏恩主公、順天宮の蘇府王爺を団結させて市街地を巡行することで、邪気や悪霊を払い、地域の信徒たちに祝福を与えていました。この風習が後に地域の年間宗教行事へと発展しました。毎年台東天后宮が主催者を務め、巡行の隊列は70組以上に達し、伝統的な神輿、乩童、七爺八爺、三太子、神将団、八家将、什家将に加えて、五路財神、宋江陣、龍陣、獅陣、八仙芸陣、高蹺陣、鍾馗芸陣、大鼓陣などの陣頭や藝閣、花車なども参加します。

ひとことアドバイス

台東天后宮では定期的に様々な民俗祭典が催されています。毎年旧暦3月23日の媽祖生誕日、元宵節の神々の巡行、12年に一度の大型祈安清醮(幸福を祈願し、神様に感謝する道教の宗教儀式)はどれも非常に重要な祭典となっています。

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