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台東炮炸寒単爺(行事・信仰)

台湾を代表する炸寒単行事
台東炮炸寒単爺(行事・信仰)
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所在地: 台東県台東市正気路2-1号
経 緯 度: 121.15543,22.74951
料金: 無料
利用できる日:
旧暦1月15日、16日
利用できる時間帯:
午前8時~午後10時
主催機関: 玄武堂
関係機関のURL: リンク
E-mail: yiashi@ms8.hinet.net
お問い合わせ: (089)360-299

景観の価値

日本統治時代において、炸寒単の行事は台湾各地から姿を消し、元宵節の廟会と共存していた台東炮炸寒単爺は台湾光復後に唯一残った炮炸寒単爺となりました。台東炮炸寒単爺は台東人の共通の思い出として守られ続けており、文化の発展における特殊性が表れています。生身の人間が扮する「肉身寒単爺」に爆竹を投げつける儀式では、火花と光が飛び交う魅力的かつ刺激的な場面が繰り広げられます。現代の宗教行事の中でも独特な美学を具える、台東地方の特色を表した重要な文化財として認められています。

歴史と沿革

炮炸寒単爺の民間信仰は台東において約50年にわたる発展の歴史があります。寒単爺は商朝(紀元前約1562~紀元前1066年)の武将・趙公明であると言われ、趙公明は死後に天界で金庫の管理を司っていたことから、武財(道教では趙元帥)と称されています。寒単爺は寒がりであると言われており、人々は巡行する寒単爺に爆竹を投げつけることで、その体を温めているのです。かつて寒単爺像は信徒が交代で祀っていましたが、1989年にその年の炉主が家に迎えて祀り、廟を建てて玄武堂と命名したことで、寒単爺を祀る固定の場所が誕生しました。炮炸寒単爺は1951年から始められ、爆竹を投げつける様子があまりにも刺激的であることから、警察機関が禁止したこともありましたが、信徒の熱心な働きかけによって炮炸寒単爺は再び台東の街にその姿を現しました。1998年には政府と共同で開催されるようになり、元宵節の一大行事へと発展を遂げました。近年では台東県政府の推進によって規模が徐々に拡大し、台東を代表する民俗行事の一つとなり、2007年には台東県の民俗文化財に指定されています。

特色あるナビゲーショ

台東炮炸寒単爺(行事・信仰)平面図で標示台東炮炸寒単爺(行事・信仰)各ガイド項目、ガイド項目3ページ、詳しいコンテンツは下をご覧ください。
1儀式の流れ

炮炸寒単爺巡行炮炸寒単爺巡行

近年、台東炮炸寒単爺は「国際化」が進められているため、開催日数は毎年異なりますが、多くの場合、5日間から6日間行われます。一番の見どころは旧暦1月15日と16日の寒単爺の巡行で、道中にある商店や民家で寒単爺が爆竹を投げつけられる様子や事前に申し込みを行った商店に招かれて爆竹を投げつけられる様子が見られます。儀式は以下の流れで行われます。
一、炮炸寒単爺の学習キャンプ:旧暦1月12日から13日に行われます。主催者が台東炮炸寒単爺の歴史と由来を紹介し、一般市民による小型の「炮炸寒単爺」を体験します。
二、準備:旧暦1月12日から14日に台東玄武堂で巡行の準備が行われます。海浜公園広場に神様の一時的な住居となる行館を仮設し、神様を招き入れ、神輿を準備し、神兵を招き入れるといった準備を行い、擲筊を通じて「安座」の儀式を執り行った後、三牲(神様に供える3種のいけにえのことで、豚肉、鶏肉、魚をいいます)と果物を供えて祭祀を行います。
三、巡行と炮炸:旧暦1月15日から16日にかけて炮炸寒単爺の一番の見どころとなる「巡行と炮炸」が行われます。炮炸とは寒単爺に向かって爆竹を投げつけることで、寒単爺は「台東元宵神明巡行」の隊列とともに巡行し、その道中にある商店や民家で準備された爆竹を投げつけられるほか、事前に台東玄武堂で申し込みを行った商店に招かれて店先で爆竹を投げつけられます。寒単爺は行程に従って練り歩いて行きます。
四、国際交換留学生の体験キャンプ:旧暦1月15日の午後、台東で勉学に励む世界各国からの交換留学生が寒単爺に扮して爆竹の洗礼を受け、炮炸寒単爺の民俗文化を体験します。
五、安神:旧暦1月17日に一連の儀式が終わった後、海浜公園の行館の神様に神位に戻っていただく安神の儀式が執り行われ、線香をあげて礼拝を行います。当日はロケット花火や天灯も上げられます。安神の日が休日でない場合、旧暦1月16日に繰り上げて執り行われます。

2寒単爺の扮装

寒単爺に扮した者は神々の加護を得られるという言い伝えがあり、志願者が集まって寒単爺に扮します。寒単爺を務める人数は、寒単爺に扮する人の我慢強さに応じて毎年変動します。通常、寒単爺に扮する人は若者が多く、その中で状況に応じて、長年の経験を持つ熟練者が参加します。寒単爺の外見は伝統に従ったもので、かつての肉身寒単爺は「開臉」(神様の顔を模した化粧。開臉を施すと神様の化身となり、神格化されたことを意味する)を施し、首に元帥の印をぶら下げ、頭に黄色い頭巾を巻き、上半身は裸で、赤い短パンを履き、濡れたタオルで口と鼻を覆い、綿で耳を塞いでいましたが、後に濡れたタオルで顔を覆うようになったため、開臉の風習はなくなりました。また、手にはガジュマルの枝を持ち(道教ではガジュマルには邪気を払う力があると言われている)、爆竹を払い、煙が鼻に入り込むのを防ぎます。

3炮炸寒単爺の方法

炮炸寒単爺炮炸寒単爺

炮炸寒単爺は毎年旧暦1月15日の元宵節の夜に開始されます。4人の担ぎ手が寒単爺の竹の椅子の神輿を担ぎ、神輿の上には肉身寒単爺が立って、その後方には寒単爺の神像が置かれます。銅鑼を持った人が先頭に立ち、神輿が左右に揺れながら街を練り歩きます。指定の位置に到着すると、神輿の先導役が風向きを確認し、風上にあたる場所を椅轎の準備場所や人員の交代場所とします。次に、隊列を率いる隊長の号令の下、椅轎に上がる肉身寒単爺はまず椅轎に安座している寒単爺に無事を祈願した後、椅轎の上に立ち、担ぎ手が椅轎を持ち上げて商店に向かって「三進三退」の礼を行い、周囲を一周すると、寒単爺に向かって爆竹を投げつける「炮炸」が正式に始まります。肉身寒単爺に爆竹を投げつけることは危険を伴うため、爆竹を投げる役の大部分は寒単爺側の構成員が務めます。爆竹を投げる方法には以下の3種類があります。
一、披炮式:肉身寒単爺が数珠のように連なった爆竹「連珠炮」を身にまとって点火します。あまり多く用いられない方法で、主に重要な地点でのパフォーマンスにのみ使用されます。
二、竹竿炮式:数本の「連珠炮」を竹竿に巻きつけ、隊長の号令の下、数十名が同時に点火し、竹竿に巻きつけられた全ての爆竹が爆発し終わるまで、激しく爆発する竹竿を肉身寒単爺に向かって近づけていきます。
三、排炮式(攻炮型):最も多く用いられる方法です。3列から5列に並べた爆竹を一束とした「排炮」を使用し、導火線を巻きつけて輪ゴムで固定します。数束の排炮を手にした人たちが輪になり、爆竹に点火してから寒単爺に向かって投げつけ、神輿の上に立つ肉身寒単爺は輪の中を回って爆竹を浴びます。肉身寒単爺は我慢できなくなると他の人と交代します。特別な場所では、待機中の寒単爺たちも全く恐れる様子を見せることなく一緒に神輿の上に立って爆竹を浴びます。

ひとことアドバイス

炮炸寒単爺のルートと日程は毎年多少の変動があり、詳細は事前にウェブ上で発表されます。体験希望または参観希望の方は安全のため、長袖、長ズボンを着用し、帽子をかぶり、保護メガネをかけ、マスクと耳栓をつけてください。

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