仏陀紀念館の敷地総面積は100ヘクタールあまりにも及び、着工から9年を費やして完成しました。主体である仏陀紀念館のほかに「前方に八塔、後方に大仏、南方に霊山、北方に祇園」と称される壮大な建築が並んでいます。中心線から敷地内に入ると、礼敬大庁、八塔、万人撮影台、菩提広場、仏陀紀念館と仏光大仏が順に並んでいます。礼敬大庁の外には彫像が並び、右側の象は仏陀が白い象に乗って胎内に入って誕生したことを表し、左側の獅子は仏陀の般若の法音を表しています。菩提広場は縦横それぞれ100メートルで、両側の回廊の壁面には仏陀行化図と星雲法師の仏偈の浮き彫りが施され、回廊外の広場には十八羅漢の立体像があります。
1975年に基礎が造られた大雄宝殿は仏光山寺の正殿にあたり、釈迦牟尼仏、薬師瑠璃光如来仏、阿弥陀仏の三宝仏が祀られ、周囲には14,800体の釈迦牟尼仏聖像が祀られています。仏座の両側には高さ9メートルの宝塔灯が2つあり、仏法の光明でこの世を隅々まで照らしています。正殿の礎石にはインドで仏陀が仏教を説いた金剛座の下の五谷レンガ(古代インドの国王がガンジス川の泥と五穀粉を使って焼成したもので、仏教の神聖な物品)が使用され、仏陀の教えが脈々と受け継がれていることを表しています。門殿に掲げられた「大雄宝殿」の扁額は台湾の著名な書家・張大千(1899~1983)の作品で、大雄宝殿前の丹墀(宮殿の階段)は成仏大道と呼ばれています。四角形のコンクリートブロックが敷かれ、美しい線が刻まれており、10000人以上を同時に収容することができます。
1975年に建てられ、以前は仏光山寺を代表するスポットとして知られていました。高さ40メートルの接引大仏を480体の接引仏が取り囲み、「一人の仏が世に出れば、千の仏が擁護する」という様子を表現しています。高くそびえ立つ姿は数十キロ先からでも確認できるほどで、以前は東南アジア最高の仏像でした。大仏は金色に輝き、右手を挙げて大光明を放つ様子はまるで海における灯台のようで、左手を下げて導き入れるような姿勢は衆生を安楽の地へと導くことを意味しています。仏像の蓮華座の入り口の回廊には『大懺悔文』、『仏説決定毘尼経』35玉仏が配置され、周囲には様々な仏像と護法金剛が並び、その間で飛天が舞い踊り、どれも生き生きとした表情で表現されています。
800坪の敷地を持つ宝蔵館はコの字型の外観で、大門の周囲は敦煌市の莫高窟の仏菩薩を模した造形となっており、古代の文物資料を参考に、方解石、もち米、黒糖に数種類の特殊な石灰を加えて混合した素材で作り上げたものです。館内は18室に分かれ、国内外の彫像、法器、書画などの文物が収蔵されています。
仏陀紀念館前には長さ240メートル、幅113メートルで、石材が敷かれた「成仏大道」があります。成仏大道の両側の南回廊と北回廊は長さ254メートルで、黒石の石材に、功徳を積んだ人たちの芳名と仏陀紀念館の建設に協力した寺院名が刻まれています。成仏大道の両脇には中国式の七重塔が8つ建ち並び、それぞれ高さ38メートルで、一教、二衆、三好、四給、五和、六度、七誡、八道と命名されています。塔の土台には会議室、受付センター、文物、書籍が設けられ、信徒は授業、写経、仏前結婚式などに利用することができます。
仏陀紀念館の後方にそびえ立つ金色に輝く仏光大仏は重要な宗教のランドマークとして知られ、仏像の高さは50メートルで、土台と仏像を合わせると108メートルあり、一般的な36階建ての建物に相当します。仏像は計1,872トンの銅と鉄を使って鋳造されたもので、世界一の高さを誇る青銅製の座佛として知られており、鋳造時に行われた「百万人の心経を法身に入れる」活動により、100万人が書き上げた『心経』が仏像の中に永久に保存されています。仏陀紀念館3階と仏座の下の仏光楼には大仏を仰ぎ見る「大仏平台」があります。