現在の外観は1928年に李安斯神父(生年不詳~1956)が本堂神父を務めていた際に実施された再建工事によって完成したもので、ルネサンス様式が採用され、ゴシック様式とロマネスク様式の尖塔が設けられています。教会正面にそびえ立つ尖塔の両側には小さな衛塔が配置され、全体的に重厚感があり、空に向かって真っ直ぐに伸びていくような線が用いられています。聖殿内部は1995年に改修が行われた際に木造構造から鋼材に改められ、7組の柱によって中殿と両側の廊下が区分されています。廊下には中二階が設けられ、中二階と天井は交差するアーチ型の構造で構成されており、天井に施されたドーム型の装飾は線がはっきりした層を形成し、中央の聖壇は八角形のドーム型をしています。
聖堂正面にあるアーチ門の要石の上部に掲げられた「奉旨」の石碑は、1874年に屏東県万金村の本堂神父が欽差大臣である沈葆楨(1820~1879)に対し、同治帝に自由な宣教活動の許可を奏上するよう要請し、奏上が受け入れられた後に沈葆楨の親筆をもとに2つの石碑に「奉旨」の文字を彫刻したもので、もう一つの石碑は万金本堂に置かれ、ここを通る将兵は必ず馬を下りて敬礼しなければなりませんでした。石碑の左右両側には教皇フランシスコと枢機卿の紋章が配置されています。1928年に聖堂の再建工事が行われた際、石碑の行方が分からなくなったことがありましたが、1972年に信徒の寄付により聖堂の外に聖母亭を建てる基礎工事が行われた際、地中に埋まっていた石碑が発掘され、再び日の目を見ることとなりました。
祭壇の中央に祀られた玫瑰聖母像は1863年に聖殿が建てられた際にスペイン・ロザリオ管区から迎えたもので、140年以上の歴史があります。また、聖壇上の神棚、神卓には美しい中国式の彫刻が施されています。
祭壇は神に捧げものをしてミサを行う場所で、テーブル本体に記されたアルファベットのJHSとは「Jesus Hominum Salvator」の略で「人類の救世主イエス」を意味します。祭壇はキリストの象徴であり、教会の礼典の規定に従い、聖殿の祭壇には高級な石材が使用されます。同聖殿の祭壇はギリシャ産の大理石ボラカスの原石を削って仕上げたもので、テーブル面、本体、石柱、台座の4つの部分に分けられます。テーブルの下には1996年に教皇ヨハネ・パウロ2世から聖人に列せられ、中国カトリック教会が最初に列聖したフランスカトリック遣使会の宣教師・董文学(1802~1840)の聖髑(宗教上の重要人物の遺品や遺骨)が安置されています。
1972年、より多くの人々が玫瑰聖母を敬うようにとの信徒からの寄付によって聖母亭が建てられました。亭内の聖母像は、聖殿の神棚に祀られた少女を抱いた聖母の姿に類似しており、まるで生きているかのような佇まいで慈愛に満ちた表情を浮かべています。
キリストの聖体が安置されており、信徒が礼拝を行い、病人に聖体が授けられます。堂内の聖櫃はもともと高雄燕巣聖堂が所有していたものですが、1974年に何振華神父によって寄贈されました。その重量は100キロ以上で、豪華絢爛なきらびやかさが目を引きます。