炮城の製作方法は、初期は簡単に複数の木の板を釘で留めて蜂炮を一方向または前後二方向に発射するものでしたが、後に山形鋼で台座を造った大型炮城へと徐々に発展を遂げてきました。内部はいくつかの層に分かれ、表面には蜂炮を挿し込んで発射方向を固定するための金網が敷かれ、様々な角度に発射できる設計が施されています。蜂炮は芯で繋がっており、その数は数千本から数万本、さらには十数万本に達するものもあり、中央に導火線が配置されています。外観は紙を貼り付けて様々な造形に仕上げられ、一度屋内に保管された後、神輿の巡行の際に取り出され、神様への感謝を示すべく点火されます。
かつて神輿を迎える際に鳴らされていた爆竹は安全な一般の連珠炮と花火でしたが、第二次世界大戦終結(1945年)後に紙製の弾頭のロケット花火「蜂炮」が登場しました。1984年になると造形のある炮城が製作されるようになり、蜂炮も紙製から音が激しく鳴り響くプラスチック製へと変化を遂げています。炮城の中の蜂炮が一斉に放たれる時、蜂炮の軌道に沿って夜空に光の筋が描かれるとともに爆音が鳴り続け、音と光が人々に大きな衝撃を与えます。
塩水蜂炮では伝統を受け継ぎ、人々の生活の安定を願って巡行する武廟の関聖帝君の神輿に向かって蜂炮が発射されます。もともとは元宵節当日のみ執り行われていましたが、長時間を要するため、後に巡行地区を2つに分け、旧暦1月14日午前から15日の深夜までの2日間に渡って執り行われるようになりました。おおよその巡行ルートは次の通りです。1月14日昼:武廟出発→旧岸内→牛稠仔→中庄→後寮→旧営→刺桐寮→観音坪→武廟。夜:武廟出発→土庫→竹圍仔尾→橋南老街→草店尾→武廟。1月15日昼:武廟出発→蔦松脚→武廟北側地区→武廟。夜:武廟出発→武廟路→三福路→大衆廟→中山路→中正路→伽藍廟→朝琴路→福安宮→点心城→月津橋→福南宮→武廟へ戻って終了。蜂炮を発射するルートは毎年事前の会議で決定され、巡行中に蜂炮の砲台を使用する家庭や店舗などは事前に登録が必要となります。神輿が玄関口に到着すると砲台を取り出し、赤い布を開いて砲台に貼り付けられた「恭祝 関聖帝君聖誕千秋」と書かれた赤い紙を剥がして、神様の前で金紙と一緒に燃やし、祈りを捧げた後、神様に蜂炮を受け取ってもらえるよう砲台に点火します。神輿は3進3退の動きでこれを受け取り、現場では大きな盛り上がりを見せます。
1984年以降、蜂炮の砲台には様々な造形が施されるようになり、蜂炮も紙製の弾頭のロケット花火からプラスチック製の弾頭の蜂炮に変化しており、発せられる音の大きさのみならず、危険性も増しているため、参加者は怪我をしないように防護装備の準備が必要です。頭部には顔まで覆うフルフェイスのヘルメットをかぶり、首にはスカーフやタオルを巻き、綿入れやデニムの上着、長ズボン、手袋、平底靴や運動靴を着用してください。溶けたり引火したりする恐れのあるレインコートなどの衣服は着用しないでください。