300年以上にわたる歴史の中で何度か大規模な改修が行われ、台湾の伝統建築において確固たる地位を築いてきました。台南で最も完全な状態で保存されている伝統的な閩南建築群としても知られ、左側に学問所、右側に廟が設けられた「左学右廟」、「前殿後閣」の配置が取られた三進両廂の三合院建築となっています。「右廟」の前方に配置された大成門には名宦祠、郷賢祠、孝子祠、節孝祠が設けられ、中央に配置された大成殿には孔子の位牌が祀られ、大成殿の両側にある東廡と西廡には81名の賢人と77名の儒者が祀られ、東廡と西廡の北側にある礼器庫と楽器庫にはそれぞれ礼器と楽器が収蔵されています。後方にある崇聖祠(元啓聖祠)は18本の柱に支えられた広間で、硬山式の燕尾の屋根を持ち、内部の中央にある神棚には孔子の5代前までの祖先が祀られており、崇聖祠の両側には以成書院と典籍庫が配置されています。そして「左学」にあたる部分には明倫堂と文昌閣が設けられています。また、東側には泮宮坊、南側には泮池があり、外には礼門、義路、大成坊、半月形の塀があります。敷地面積は9007平方メートルに及び、現存する建築物の数は全国の孔子廟の中でも最多の15棟を誇り、美しく配置されたこれらの建築群が訪れる人々を魅了し続けています。
敷地内には「泮」と名のついた場所が「泮宮坊」と「泮池」の2箇所あります。泮宮坊は1749年に建造された木造を模した石坊で、泮池は円形をしており、庭園に接した壁面には「思楽泮水」の石碑が嵌め込まれています。かつて諸侯が設立した学校は「泮宮」と呼ばれ、泮宮坊は孔子廟の最も外側の出入口として使用されていましたが、日本統治時代に南門路が設けられた際に現在見られるような2つに区切られた景観が出来上がりました。
大成殿の現在の姿は1977年に改修されたもので、孔子廟の建築群の中でも最も上位に位置付けられています。合院の中央で他の建築物に囲まれていることからその重要性が見て取れ、その崇高さを誇示するかのように高い台座の上に建てられています。前方には孔子を祀る儀式の際に伝統的な佾舞を踊る露台があり、殿内には末代皇帝溥儀を除く清朝の康熙帝以降の全ての元首が孔子を称えた扁額が掲げられています。
大成門は6本の柱に支えられた木造建築で、門には門神が描かれておらず、108本の門釘が打たれています。また、楹聯も書かれておらず、孔子への敬意が示されています。
古くから文昌閣には孔子とは何も関係のない文昌帝君と魁星が祀られていることから、文昌閣は孔子廟において非常に特殊な存在であると言われています。孔子廟に文昌閣が設置されている理由は、各時代において科挙は非常に重視された試験で、文昌帝君と魁星は受験生に加護を与えると言い伝えられてきたことにあります。文昌閣の1階は四角形、2階は円形、3階は八角形で、2階と3階には小さな外廊が設けられています。2階には文昌帝君が祀られ、3階には魁星爺が祀られていることから、文昌閣は魁星楼とも呼ばれています。
明倫堂とは儒教の講堂に一般的に使用される名称で、清朝時代には府学内の教室としても使用されていました。「明倫」堂の名には、学生に対して明確に倫理を説き、宗法制度の概念における人間関係と儒教の社会に対する認識への理解を促すという意味が込められており、儒教の基礎である「明倫」という名称が用いられています。堂内の「臥碑」には当時の明倫堂の校則が刻まれています。
以成書院は釈奠の儀式の際に音楽の演奏を受け持つ楽局という組織にあたります。毎年9月28日の至聖先師孔子の生誕日に執り行われる祭孔大典で演奏される音楽は古くから伝承されてきたもので、主に祭孔音楽と雅楽十三音と呼ばれる音楽があります。孔子を祀る儀式の際に楽器の演奏を担当する人を楽生といい、楽生たちは儀式に敬意を払い、伝統衣装の「長袍馬褂」を身につけて演奏します。
孔子廟の建造当初、下馬碑は設けられていませんでしたが、1687年になって皇帝の命で大成坊門外の左右に下馬碑が設置され、現在そのうちの一つが残されています。花崗岩で造られた石碑の左側に満州文字、右側に漢字が彫り込まれ、ひときわ目立つ赤い塗装が施されています。孔子へ敬意を示して、文武官、軍人、民間人はここで馬を下りるよう促す「文武官員軍民人等至此下馬」という内容が記されており、全国の孔子廟の中でも保存状態が最も良く、全く傷がない下馬碑として知られています。