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土庫順天宮

台湾で唯一日本の観音神像を祀る媽祖廟
土庫順天宮
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所在地: 雲林県土庫鎮中正路109号
経 緯 度: 120.39056,23.67657
料金: 無料
利用できる日:
通年
利用できる時間帯:
午前8時~午後9時
主催機関: 土庫順天宮
関係機関のURL: 
E-mail: a6624377@yahoo.com.tw
お問い合わせ: (05)662-2658

景観の価値

雲林地区における媽祖信仰の中心の一つとして親しまれ、日本統治時代に皇民化運動が推進された際は、改修工事の役員を務めていた篠崎喜代吉が奔走したことで取り壊しを免れています。これによって、後に有名となる「雲林六房媽過炉」が守られただけでなく、順天宮には日本風の装飾芸術も取り入れられました。現在も後殿に祀られている日本の観世音菩薩神像は台湾では希少な日本の観音神像で、日本統治時代における台湾の歴史をはっきりと物語っています。蒋九と蒋泉の石彫り、胡賢と王錦木の木造の対場作、及び陳天乞の交趾焼と剪黏など、当代の巨匠たちが改修工事の際に腕を競い合った作品が完全な状態で保存されており、その文化的・芸術的価値が高く評価されています。

歴史と沿革

清の順治年間(1644~1661)に創設され、1834年に信徒から廟の建設用の土地の寄進を受け、地元の商業組合「行郊」が協力して資金を集め、前殿を建設して天上聖母を祀り、その6年後には後殿を建設して観世音菩薩を祀り、後に右廂を増築して現在の建築様式が形成されました。日本統治時代の1940年に皇民化運動が推進された際には、日本政府から斗六郡と虎尾郡の管轄にある全ての寺院の取り壊しが命じられましたが、当時順天宮の改修工事の役員を務めていた代理街長・篠崎喜代吉(生没年不詳)は改修工事が中止されることを恐れ、日本の「古義真言宗台湾開教計画案」への加入を交渉しました。その後、日本の吉祥寺の黒澤祐城住職(生没年不詳)によって1939年に群馬県新田郡の吉祥寺から三十三番日本観音が正殿に迎えられ、正殿に祀られていた神像と雲林の信徒が信仰する「六房天上聖母」が一時的に後殿へと移されると、ようやく取り壊しの危機を免れることとなったのです。篠崎喜代吉は改修工事の際に各方面の職人を招き、石彫りでは恵安の石彫り職人、土庫鎮の蒋九(生卒年不詳)、豊原の蒋泉(生没年不詳)が腕を競い合い、木造は漳派の陳応彬(1864~1944)の弟子・胡賢(生没年不詳)と唐山の職人・王錦木(1909~1996)がそれぞれ異なる箇所を担当し、交趾焼と剪黏は北部の職人・洪坤福(1865~没年不詳)の弟子・陳天乞(1906~1990)が作業を担当しています。第二次世界大戦終結後、天上聖母は正殿に戻され、六房天上聖母は再び古くからの風習にならって大小様々な村が集まった5つの組織によって交代で祀られるようになりました。土庫順天宮は2012年に雲林県の県定古跡に指定されています。

特色あるナビゲーショ

土庫順天宮平面図で標示土庫順天宮各ガイド項目、ガイド項目5ページ、詳しいコンテンツは下をご覧ください。
1交趾焼の戯堵

交趾焼の戯堵正殿と拜殿の両側にある水車堵は日本統治時代に篠崎喜代吉が改修工事を実施した際に巨匠・洪坤福の弟子である陳天乞を招いて制作した剪粘と交趾焼の作品です。題材には主に堯舜、封神演義、三国志演義などの歴史物語や民話が多く用いられており、線香の煙で黒ずんでいるものの現代においても当時の職人の工芸技術の高さがうかがえ、雲林県に現存する最高の交趾焼作品の一つであると考えられています。

2正殿龍虎堵の書と色絵

正殿龍虎堵の書と色絵正殿龍虎堵の書と色絵正殿の左右の壁面にある龍虎堵は1852年に大坵田堡の書家・馬龍瑞が順天宮の改修工事の落成を祝って残した書画です。龍堵は毛筆ではなく稲を使って書き上げた1枚の書で、「鳶飛月窟地、魚躍海中天」と力強い筆遣いで書かれており、虎堵には色絵で蛟龍が描かれています。一般的な寺院に見られる虎堵に虎を描くという伝統的な様式とは異なり、華人文化において「書画」という言葉の中では書が画よりも前にあり、なおかつ左側が右側よりも上位だという考えがあることから、順天宮では左側にあたる龍堵に書が設けられたとのことです。

3群馬県吉祥寺から迎えた後殿の観音像

後殿の神棚の中央に祀られた日本の木彫り観音像は、日本統治時代に皇民化運動が推進された際、当時順天宮の改修工事の役員を務めていた篠崎喜代吉が順天宮の取り壊しを免れるために、1940年に真言宗古義派吉祥寺の黒澤祐城住職を支部長として迎え入れ、黒澤祐城住職によって群馬県新田郡の吉祥寺から順天宮の正殿に迎えられたもので、第二次世界大戦後に後殿に移されました。観音像は高さ約1尺2(約38センチ)、両手を合わせた荘厳な佇まいで、一般的な華人の寺院に見られる観音仏像とは造形が異なり、背後に船型の後光があり、台座には三十三番という文字が刻まれています。

4中庭の豎材と吊筒

中庭の豎材と吊筒三川門の後ろにある中庭の豎材と吊筒の上には士農工商を表す日本人の格好をした木彫りの人形が4体あり、そのうちの1体は日本の下駄を履いています。このような造形は全国で類を見ず、日本統治時代に順天宮の改修工事が行われた際に日本の要素が多く取り入れられたという歴史を物語っています。

5道光年間の供物台

道光年間の供物台後殿にある古い供物台は1834年に彰化県二林郷の信徒・洪郁文から寄贈されたものです。作者は不明ですが、表面には丁寧に刻まれた神獣や縁起物が並び、古風な趣を感じさせます。また、当時の順天宮の再建の歴史も記録されています。

ひとことアドバイス

土庫順天宮では旧暦3月23日の媽祖生誕日に年間を通して一番の賑わいを見せます。旧暦2月から3月までの2カ月間は、各地から進香に訪れる団体と雲林六房媽祖過炉で多くの信徒が焼香、幸福祈願、媽祖生誕祝いに集まります。

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