牽水車蔵は台湾に古くから伝わる最も完全な形の済度の風習で、口湖牽水車蔵の儀式は次のような流れで行われます。一、水車蔵作り:かつては水車蔵を全て各家々で自分の手で作り、祭り当日に会場に運んでいましたが、現在は時代の変遷に伴い次第に廟宇の道士壇が製作を請け負い、まとめて並べられるようになりました。二、引霊就位:道士が万善祠のご神体を迎え入れ、開光(ご神体に特別な霊力を注ぎ込む)を行うと、法会の正式な始まりを告げる太鼓が鳴り響きます。三、神に向かって奏文を読み上げます。四、灯篭流し:済度と昇天を受け入れるよう、水の中にいる孤独な魂を招きます。五、放赦:「走赦馬」ともよばれる、道士が死者の霊を済度するための経を読む儀式で、死者の魂が罪を許され往生できるよう神に願います。六、排車蔵:金湖万善爺廟と下湖港万善祠に水車蔵がずらりと並べられます。延々と続く水車蔵の行列は非常に壮観で、この祭り最大の特色となっています。七、読経・拝礼・懺悔。八、起水車蔵と牽水車蔵:道士が経を読み功徳を増大させます。九、浄筵普施:死者の霊に食事を供養します。十、倒車蔵:功徳が満ちたという意味で水車蔵を倒します。十一、謝壇焼蔵:水車蔵を燃やし、全ての儀式が無事に終了したことを告げます。
水車蔵の「車蔵」は閩南語では「ジュアン」(zhuàng)と発音し、「回す」という意味です。これは道教の儀式で用いられる死者を済度するための祭具で、台湾の伝統文化には水車蔵と血車蔵の2種類あり、血車蔵は難産で亡くなった妊婦を済度するため、水車蔵は水害で命を落とした者を済度するために用いられています。水車蔵の作り方は以下のとおりです。まず、竹齢2年以上の桂竹を縦に細く割り、大きい輪と小さい輪をそれぞれ4つずつ作ります。それから、十字に交差させた竹の棒に大小の輪を一つずつ縛り付け、それらをまっすぐな竹の棒の上に縦に取り付けて大小二重の円筒形状にし、内側の円筒の外側に白・灰色・淡い色の紙を貼っていきます。上・中・下段はそれぞれ水中・冥界・天国、つまり「上界」・「中界」・「下界」と四方を構成し、宇宙全体を表しており、上から順にそれぞれ七爺・八爺、山神・土地神、観音菩薩といった12体の神仏の像を貼り付けます。車蔵の内側には底部から上に向かって斜めの階段を貼り、竹が十字に交差している部分4か所にそれぞれ1本ずつ三角形の旗を縛り付け、最後に死者の名前を書き込みます。こうして作られた水車蔵を遺族が手で叩きながら回転させると、回転する水車蔵を頼りに死者が水中から一段一段岸に上がる道を見つけ出し、水の底深くに沈んでいた死者の霊が水中から冥界へ、冥界から天国へと引き上げられていくと考えられているのです。
口湖の万善同帰の祭祀儀式は主に「挑飯担祭祖霊」と「牽水車蔵」の2つの民俗儀式に分けられ、口湖郷と四湖郷の万善爺廟では挑飯担祭祖霊が主に執り行われます。挑飯担祭祖霊とは、伝統的な天秤棒「扁担」を使って食べ物を担ぎ、徒歩で万善爺廟まで行って先祖の霊を祀り供養する儀式で、開催日である旧暦6月7日には口湖郷と四湖郷などの住民が集まり、万善爺廟まで行くことのできない住民は自宅の玄関の前に香案を設けて万善爺廟の方に向かって祈りを捧げます。毎年、挑飯担祭祖霊の隊列は非常に壮観で、先人への追悼の念を表現した儀式には文化的意義と民俗文化の精神が込められています。
1845年の「六七水害」当時、逞しい体格と人並み外れた腕力を持ち、泳ぎに長けた陳英雄という名の村民がいたと伝えられています。大洪水の中、彼は家に戻って母親を助け、その後も隣人宅から助けを求め泣き叫ぶ8人の子供の声を聞きつけると、自分の身の危険を顧みず再び助けに出て行きました。残念なことに彼ら9人は結局水に呑まれて命を落としてしまいましたが、この英雄物語に感銘を受けた後の人々が「戦水英雄」像を作り「大善人」と呼んで崇め、金湖万善爺廟内に祀りました。8人の子供を背負った非常に独特な風貌のご神体は陳英雄の救助の様子を表現しているのです。