海印寺外の左前方にある石門は有名な太武山12奇景の一つに数えられ、石のまぐさと石柱で構成される半円アーチで、石を積み重ねて造られた高さ5メートルに満たない小さな門です。石門には明朝末期の儒将・盧若騰が記した横額「海山第一」の4文字が並び、「重建太武寺碑記」に記載されている「海上各島、浯洲最著、諸島名山、太武最著」という一文は、海上の島々の中で金門島が最も有名であり、各島にある名山の中で太武山が最も有名であるということを意味しています。石門は寺院の自衛施設だったと考えられ、もともとは石門の範囲と石壁の規模は現在よりも大きかったと推測できます。現在この石門は仏寺の山門となっています。
海印寺大雄宝殿の後山にある古石室は、海印寺の最古の建築物で、巨大な岩の洞窟にわずかに手を加えて造られたものです。宋明時代に建てられたものであると推測され、独特な形状と構造を持ち、人工と自然が調和した高い歴史的価値を誇る建築物です。
大雄宝殿の下にある安心石は、海印寺の建設前から地中にあった巨大な花崗岩で、安心石に触れると、この上ないエネルギーを得られると言い伝えられています。幸福祈願の方法を説明したガラスパネルが設置されており、左手を心臓部に、右手を石に触れた状態で念仏を唱えると、心を落ち着かせることができると言われています。
安心石の隣に安心石室への入り口があります。室内にはこれまでの再建工事の際に使用された建材、明朝時代から残されてきた花崗岩、様々な仏画など、海印寺に関する文物が数多く展示されています。石室内で最も特別なのは制作年代不明の数々の泥塑の羅漢像です。これらの彫像は全て地中に埋まっていたところを仏寺の改修工事の際に発掘されたものです。発掘時、ほとんどの彫像は破損した状態でしたが、専門家によって修復されて喜びの表情を取り戻し、石室内に収蔵されました。彫像はどれも顔と体が生き生きとした線で表現されており、服装も繊細かつ精巧に形づくられています。
海印寺の後殿にあたる大雄宝殿は1970年代に再建されたもので、屋根は歇山式ですが、前後の斜面が途切れて重簷式のような設計が用いられています。最上部には硬山擱檁式(横壁間の距離が短い傾斜した屋根によって横壁の上部が三角形を呈し、桁を三角形の横壁に直接配置することで建材を節約できる工法)の屋根と耐力壁が用いられ、下部の庇には鉄筋コンクリートと伝統的な柱礎が用いられています。仏殿には釈迦牟尼仏が祀られ、正面の幅は3間で、殿内には2本の後金柱のみがあり、前面には門がひとつ設けられており、一般的な仏寺に見られる大雄宝殿とは異なる建築様式が用いられ、石積みの外壁が素朴な美しさを表現しています。
多くの寺院で見られる寺院の主体と連なった形式の鐘鼓楼とは異なり、正殿前方の左右に鐘鼓楼が設けられています。1968年に増築された龍楼と鳳閣が鐘鼓楼となっており、鐘楼内にある古い銅鐘は1898年に一本禅師が日本で資金を募って鋳造したものです。
石像公園には海印寺で主祀神として祀られている観世音菩薩が32体置かれています。この32体の仏像は仏教経典『妙法蓮華経観世音菩薩普門品』に記載されている観音菩薩の32の化身を表しており、観音菩薩が衆生の機縁に応じて姿を変えて現れる様子が表現されています。