北港朝天宮は南向きに建てられた九開間(廟の正面の幅が9つの空間に分かれていること)、四進(奥行き方向に4つの建物があること)、二廂(左右に1つずつ廂房があること)の奥行きのある建築様式で、「四落八殿、一埕七院」と呼ばれています。日本統治時代に行われた改修工事の際、三川殿には漳派の木工の巨匠・陳応彬が当時よく用いていた重簷「仮四垂」(上層の屋根の両端の軒が下層の屋根の棟によって前後に分断され、不完全な四垂頂を形成している屋根の様式)が採用されており、両側の龍虎門には重簷歇山式の屋根が採用されています。正殿と三川殿はどちらも三開間で、正殿前には三開間の拜亭があり、両側に設けられた鐘楼と鼓楼は後に木造を模してセメントで造られたものです。後殿も三開間で、4本の柱と9つの桁を持ち、屋根は硬山式(1つの大棟と4つの下り棟で構成され、左右の軒先が切妻の外側へ張り出していない屋根の様式)となっています。
北港朝天宮では毎年文化大楼で文化財展を開催しています。展示品の中でも清朝時代に媽祖神像とともに海を渡って来た宝璽、朝天宮の第一代住職・樹璧和尚の所有物で表面に『般若波羅蜜多心経』が刻まれた鉢、悟りを開いて天に昇った湄洲媽祖による救世の物語が記載された昭応録は特に古い年代のもので、鎮殿三宝と称えられ、平常時は北港朝天宮の金庫室に収蔵されています。
清朝時代から幾度もの改修工事が行われているため、北港朝天宮には台湾の様々な時代を代表する様式の彫刻が施された龍柱が保存されています。観音殿にある1775年の龍柱は古風で力強い作風が特徴で、シンプルな線の中に龍の勇ましい姿が際立っており、台湾における最も初期の龍柱の代表作の一つに数えられます。正殿の拜亭前にある八角柱の盤龍は清朝中期1852年の作品です。三川殿前の龍柱は清朝末期の作品で、豊かな構図が特徴的です。これら3対の龍柱からは台湾における龍柱雕刻の発展史を垣間見ることができます。
朝天宮の文昌殿前に設けられた白石の「双龍戯珠」の御路は、緻密な構図と美しい石質、洗練された彫刻が特徴的です。一般的な御路は中央に1頭の龍が刻まれたものが多く見られますが、朝天宮の御路は生き生きとした昇龍と降龍が刻まれた非常に珍しい作品です。これは清の道光年間に造られたもので、台湾に現存する最も精巧で希少な石彫り作品であると言えます。
寺院前の広場にある石柱には高さ約5尺(約150センチ)の雄大な姿の四海龍王の石像が4体あります。四海龍王とは、東海の龍王・敖光、南海の龍王・敖明、西海の龍王・敖順、北海の龍王・敖吉のことを指します。それぞれ水龍に乗っており、今にも動き出しそうな線で描き出され、奥深さを感じさせる仕上がりです。台湾でも類を見ないほどの傑作で、東西南北からの来朝の象徴でもあります。
朝天宮の木彫りの斗栱には関刀栱、葫蘆栱、螭虎栱があります。三川殿の螭虎栱は変化に富んだ滑らかな曲線が特徴的で、それぞれが異なる趣を見せています。厚みのある木材に浮き彫りの技法を用いて精巧な細工が施されており、螭龍型の栱に見られるふっくらした体つきの龍は漳派の木工の巨匠・陳応彬が得意とした手法の一つです。
朝天宮三川殿の龍虎門にある長枝八角藻井は、台湾の寺院に設けられた藻井の中でも設計が最も複雑なものに挙げられ、複雑で難易度の高い木造の斗栱に関する技法が用いられています。まず長方形の梁の枠に木材を渡して八角形を形成し、長辺からは4組、短辺からは2組の斗栱を組みます。それぞれの斗栱から斜め方向の栱を枝分かれする木のように組み、斗栱を3層組んだ後、リブ梁の「陽馬板」を設け、最上部には2羽の鶴の彫刻を施しています。これは台湾初の作品で、斗栱の角度に非常に高い精度が求められ、建築史の研究においても高い学術的価値があると考えられています。
北港朝天宮で旧暦3月19、20日の2日間にわたって催される「北港迎媽祖」では、笨港渓(現在の北港渓)を境界に南街と北街に分け、19日午前は南街を巡行し、20日午前は北街を巡行し、両日とも午後と夜間は北港鎮内の街路を巡行します。巡行の隊列は非常に大規模で、陣頭、芸閣(民俗芸術の一つで、様々な情景がデザインされた閣楼に歴史上の人物に扮した子供が乗り、担ぎ手が担ぐか車に載せて巡行)、花車、数千数万人の巡行者が4、5キロにも及ぶ列をなします。媽祖の巡行は毎日早朝に北港朝天宮を出発した後、翌日の早朝4時から5時まで続き、道中では信徒が香案、果物、花、爆竹を準備して媽祖の神輿を迎えます。
北港迎媽祖の神輿の巡行における一番の特色は「炸轎」または「吃炮」と呼ばれる儀式です。これは、店舗や住宅の前を通る神輿の下で山のように積み上げられた爆竹に点火し、激しい爆発音と火花で神輿を歓迎する重要な儀式です。爆発が激しいほど繁栄すると言われているため、信徒たちは毎年大量の爆竹を準備し、「塩水蜂炮」、「台東炸寒単」に並ぶ盛り上がりを見せることから、これら3イベントはその熱狂の度合いから「台湾三大炮」と呼ばれています。
北港迎媽祖の巡行において、神輿とともに大通りのルートを巡行する芸閣の数は台湾で随一の多さを誇り、巡行で一番の見どころとなっています。芸閣は「詩意閣」とも呼ばれ、北港地区の芸閣と他の地区のものとの違いは、芸閣によって表現される古代の忠孝節義や神話、伝説の物語の人物を実際に人が演じるという点にあります。日本統治時代には芸妓が演じ、人力車や牛車、荷車を飾った芸閣が多く見られましたが、現在は自動車を美しく飾った花車が使用され、信徒の子供が登場人物に扮し、子供たちの自由な動きで物語が生き生きと表現されています。