外観上には前殿左右に山門があり、左右の山門の2本の柱とその間の10本の柱の計12本の柱によって11の「開間」が形成されています。古代中国の建築は「間」(または開間)が基準の単位とされ、奇数が縁起の良い数字とされていました。建築物の正面にある間の数は「開間」と呼ばれ、建築物内部の奥行き方向にある部屋数は「進深」と呼ばれていました。行天宮の全体的な建築様式は、精神的指導者である玄空師父が構想したもので、関聖帝君に伺いを立てた後に建設を開始しました。主に閩南地方の建築様式である燕尾翹脊式が取り入れられており、その特色としては、鉄筋コンクリートを使用しながらまるで伝統的な木造寺院のような風情を醸し出す点が特色として挙げられます。
于右任(1879~1964)は中華民国開国元老であり、監察院長を34年間にわたって務めました。国民政府とともに台湾に渡った際に70歳を迎えた于右任は、行楷と草書に極めて深い造詣を持っていました。正門上にある「行天宮」3文字はわずか20画ですが、その線には勢いがあり、力強い筆使いで、収筆からは奥ゆかしさがにじみ出ており、多くの中国書法愛好家から注目を集めています。
廟内で、青い服(修行服)を身に付けたボランティアが毎日参拝者にサービス提供している姿は、多くの参拝者にとっての行天宮への第一印象となっており、行天宮の発展においても最も重要な役割を担ってきました。この青い服は「道衣」とも呼ばれ、「道心」の意味が込められています。ボランティアは、おみくじの解説、家運の書き出し(家庭内で運気の良くない部分を書き出し、神様に祈ることで運気を変えるもの)、「収驚」などのサービスを提供しており、その中でも、ボランティアによる参拝者への「収驚」の様子が最も頻繁に見られます。収驚は「収嚇」とも呼ばれ、華人の民間療法の中の心霊療法儀式の一つです。