南瑤宮敷地内の様々な建築の中でも観音殿は最も特徴的で、建築様式、細工、造型などの方面で外国の影響を強く受けており、日本式、ギリシャ式、バロック式の様式が融合し、台湾の伝統的な寺院建築とは大きく異なる独特の趣があります。外観はおおよそ重簷歇山式(4つの斜面からなる屋根の上にもう一つの屋根が乗っているもので、尊貴を象徴している)で、正面には3つの円形の屋根窓が並び、軒下の欄干、平らな棟、黒い日本式の屋根、「菊」模様の木彫りの彫刻からは日本の雰囲気が存分に感じられます。また、屋根の軒にはヨーロッパ式のパラペットと呼ばれる欄干が設けられ、回廊の柱頭にはギリシャのドーリア式の柱が用いられており、ヨーロッパ建築の影響を大きく受けていることがうかがえます。観音殿内には銅板の天井、十八羅漢を題材にしたヨーロッパ風の壁飾り、日本式の神棚など、他の寺院では見られない装飾が施されています。このような中国式、ヨーロッパ式、日本式を組み合わせた建築様式は1920年前後に流行したもので、南瑤宮における一番の目玉として挙げられます。一般的な寺院では最も規模の大きい正殿が中央に配置されますが、南瑤宮では観音殿の規模が正殿よりも大きくなっています。これは、もともとは正殿として設計されていた観音殿の個性的な建築様式が保守的な民族性にそぐわず、観音殿の前方に別途正殿が建造されることになったためで、陳応彬の作品である観音殿が正殿として脚光を浴び続けることはありませんでした。
観音殿内の左右両側には泥塑で造られたヨーロッパ風の大きな鏡枠があります。これは台湾の寺院特有の装飾で、観音殿の建造時に職人が装飾を施したものとされ、その目的は不明です。表面には日本風の「菊」模様が彫刻されており、台湾全土でも、このような鏡枠はここでしか見ることができません。
観音殿の天井には、碁盤の目のように平らな天井板を使った装飾が施されています。これは宋の時代の建築書『営造法式』において「平棊」と称されるもので、日本統治時代における日本風建築に流行した天井の装飾です。近代に建造された龍山寺、新竹城隍廟、彰化南瑤宮には全て平棊が設けられています。
正殿の完成後、渓底派の木工職人・王樹発を招いて三川殿の設計が行われました。建築の骨組みとなる構造体と藻井は渓底派が担当し、建築装飾の木彫りは泉州の彫刻職人・楊秀興と田中匠師がそれぞれ別の場所を担当して腕を競い合う「対場作」という方法で作業を進め、作品の中には民話の登場人物や力士などが生き生きと表現されています。一流の技術を持っていた楊秀興は装飾彫刻を得意とし、台北艋舺龍山寺などの有名な寺院にも多くの作品を残しています。
南瑤宮には日本統治時代の典型的な様式の龍柱が3対あり、三川殿、正殿、観音殿の前にそれぞれ設置されています。三川殿の龍柱には1930年に老二媽会員から寄贈されたことを示す落款があり、青斗石製の八角形の柱には4つの爪で珠を掴んだ龍が1頭ずつ巻きついており、龍のほかに封神演義の人物も装飾されています。