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台中楽成宮・旱渓媽祖十八庄巡礼活動

台湾で最も長期間の媽祖巡行
台中楽成宮・旱渓媽祖十八庄巡礼活動
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所在地: 台中市東区旱渓街48号
経 緯 度: 120.69785,24.14083
料金: 無料
利用できる日:
楽成宮は通年開放、巡行は毎年旧暦3月
利用できる時間帯:
楽成宮は午前6時~午後10時
主催機関: 財団法人台湾省台中楽成宮
関係機関のURL: リンク
E-mail: 
お問い合わせ: (04)2211-1928

景観の価値

楽成宮では日本統治時代に拡張工事が行われ、漳派の職人・陳應彬の監督の下、三川殿の重檐仮四垂の屋根と五門の断檐升箭口の屋根が仕上げられました。その美しくそびえ立つ造形は陳應彬の作品の中でも極めて特殊であり、台湾における後期の寺院建築に影響を与え、台湾の伝統的な寺院建築の本土化の最初のモデルとなりました。また、旱渓媽祖十八庄巡行は台湾各地の媽祖巡行の中でも日数が最長、規模が最大、巡行距離が最長のものとして知られ、清朝、日本、中華民国と3つの政権による統治の下でも、それぞれに応じた形式で現在まで存続し、台中地区の慣習的な民俗行事として確立され、幅広い信徒の信仰を集めています。

歴史と沿革

台中市旱渓の媽祖廟「楽成宮」の始まりは清の乾隆年間初期に遡ります。当時、無事に台湾に渡れるよう祈願した移民が湄洲天后宮の「老二媽」の金像を持って来ており、現在の楽成宮の所在地を通りかかった際、その神像に霊異な出来事が生じたため、一時的にそこに神像を祀ることにして、1790年に廟が建設されました。その後、幾度の改修が行われ、日本統治時代の1924年に正殿の改修が完了すると、信徒は湄州の天后宮を訪れて進香を行いました。1985年には台中市の市定古跡に指定され、1991年に後殿が増築されたことで現在のような規模になりました。全国的に有名な「旱渓媽祖十八庄巡行」は、清の道光年間初期にこの地区で害虫によって稲作が深刻な被害を受けた際、現在の台中市大里、烏日、太平、霧峰などの18の村落の農民が「旱渓媽」を迎えて巡行を行い、幸福を祈願したことが始まりとされ、その巡行行事は現在まで受け継がれ、台湾で巡行日数が最長の宗教行事となっています。巡行は毎年決まって旧暦3月1日に出発し、22日に楽成宮に戻ります。また、巡行には決まったルートがあり、23日の媽祖生誕日には信徒が集まって生誕祝いを行います。2008年に「旱渓媽祖十八庄巡行」は台中市の無形文化財に登録されています。

特色あるナビゲーショ

台中楽成宮・旱渓媽祖十八庄巡礼活動平面図で標示台中楽成宮・旱渓媽祖十八庄巡礼活動各ガイド項目、ガイド項目5ページ、詳しいコンテンツは下をご覧ください。
1三川殿の「升庵仮四垂」

三川殿の「升庵仮四垂」楽成宮の三川殿の「升庵仮四垂」(2つの屋根を上下に重なり合わせる技法)は台湾の早期漳派の木工職人で敬意を込めて「彬司」と称される陳應彬(1864~1944)の代表作の一つです。「升庵仮四垂」とは歇山重簷式を簡素化したもので、三川殿の屋根に使用される様式です。中央部分の屋根を一段高くし、その両脇の屋根と分離したものが「升庵」と呼ばれ、元々の三川脊式の屋根よりも構造が複雑で高さがあり、側面に生じた隙間には「串角」という装飾が施されます。四垂頂(歇山)の屋根と比べると側面に違いがあることから「仮四垂」と呼ばれ、後の台湾の職人からは「断簷升箭口」と呼ばれました。この様式は台湾における後期の寺院建築に多大な影響を与え、台湾の伝統的な寺院建築の本土化の最初のモデルとなりました。

2三川殿の歩口の員光

三川殿の歩口の員光員光は垂梁や垂梁枋とも呼ばれ、主に梁と柱の構造安定性を高めるために通梁の下に設けられます。90°から変形しないように通常は両端が湾曲した形状をしています。廟内で面積が最も大きい木彫りで、まさに彫刻職人たちの腕の見せ所でもあります。通常、員光には花や鳥、人物が題材として用いられ、小説内の忠孝節義の物語を題材に、その物語に応じた家屋や山などの背景が彫刻されます。楽成宮三川殿の歩口の左右両側の員光は漳派の木工職人・陳應彬の弟子・黄亀理(1903~1995)が「内枝外葉」(透かし彫りを何層にも施し、多彩で立体感のある構図を表現する技法)で繊細な彫刻を施した代表作です。

3三川殿の中央門前の古い石獅

三川殿の中央門前の古い石獅台湾では獅子は邪悪で不吉なものを鎮める働きがあると考えられています。三川殿の中央の門の前に設置された古い石獅は、その繊細な彫刻と素朴で丸みを帯びた造形に当時の風俗と人々の心情が忠実に表現されています。材料には青斗石が使用され、左が雄、右が雌の配置で、2体とも幸運と順調を象徴する霊芝草を手にしています。雄獅子は外に目線を向け、石の珠をくわえ、右手で門全体を支えています。一方、雌獅子は口を閉じ、愛情のこもった視線を雄獅子に向け、両手で仔獅子を優しく撫でているという、温かみが感じられる造形です。

4「法雨宏施」の扁額

正殿の媽祖の神棚の真上に掲げられている「法雨宏施」の扁額は清朝時代の重要な文化財で、一枚の木材で作られており、幅は217センチ、高さは69センチです。美しい書体で記され、枠の四角には木彫りが施され、土台には一対の獅子の見事な彫刻が施されています。遠くから見ると「法雨宏施」の文字が浮き上がっているように見えますが、実際にはくぼんで刻まれています。扁額に為書きはなく、落款には「肅甯劉春霖敬書 霧峰林垂拱敬献」と記されています。劉春霖(1872~1944)は清朝末期の直隷省河間府粛寧県出身で、1904年に甲辰科状元となった人物で、中国史上最後の状元でもあります。扁額を贈った林垂拱は当時の台湾中部の大地主・林烈堂(1876~1947)の息子で、『楽成宮志』の記載によると、北京政府の段祺瑞(1865~1936)が政権を握った際に、林垂拱は北京で短期間国会議員を務めたと記されていますが、詳しい資料は見つかっていません。

5旱渓媽祖十八庄巡行

巡行中は「大旗」の陣頭が前方に位置取り、遠くから見ると媽祖の神輿がちょうど大旗の下にあるように見えることから、旱渓媽祖十八庄巡行は「旱渓媽祖大旗脚」と称されます。旧暦3月1日に楽成宮で十八庄の祭祀儀式を行ってから出発し、巡行が終わると再び楽成宮に戻り、信徒が「倰轎脚」(鑽轎脚とも呼ばれ、地面にひざまずいて、その上を媽祖の神輿に跨いでもらい、厄除けを祈願する儀式)を行うと、全行程が終了となります。この地には、旱渓媽祖に対する篤い信仰心さえあれば、地元の人でも外部の人でも同じように旱渓媽祖の加護を得られることを意味する「旱渓媽祖蔭外荘」ということわざも広く伝えられているのです。
旱渓媽十八庄巡行は以下の日程で行われます。
一、旧暦3月1日:楽成宮で祭祀儀式が行われた後、下哩仔を巡行し、東女慈聖宮に駐駕します。
二、旧暦3月2日阿密哩を巡行し、光明村に駐駕します。
三、旧暦3月3日五張犁を巡行し、五光村に駐駕します。
四、旧暦3月4日瓦磘仔を巡行し、復興宮媽祖廟に駐駕します。
五、旧暦3月5日詹厝園を巡行し、3月6日大突寮を巡行し、3月7日田寮仔、埔仔を巡行し、この間全て三興宮に駐駕します。
六、旧暦3月8日涼傘樹を巡行し、萬安宮に駐駕します。
七、旧暦3月9日内新庄を巡行し、新興宮に駐駕します。
八、旧暦3月10日車籠埔を巡行し、三府王爺公に駐駕します。
九、旧暦3月11日塗城を巡行し、聖明宮に駐駕します。
十、旧暦3月12日草湖を巡行し、太子宮に駐駕します。
十一、旧暦3月13日阿罩霧を巡行し、坑口村に駐駕します。
十二、旧暦3月14日柳樹湳を巡行し、南柳村に駐駕します。
十三、旧暦3月15日呉厝庄を巡行し、五福村に駐駕します。
十四、旧暦3月16日丁台を巡行し、新登宮に駐駕します。
十五、旧暦3月17日石螺潭を巡行し、螺潭村に駐駕します。
十六、旧暦3月18日喀哩を巡行し、新南宮に駐駕します。
十七、旧暦3月19日渓心埧を巡行し、南興宮に駐駕します。
十八、旧暦3月20日前竹、仁徳、九徳、樹仔脚、麻糬埔、南屯、土庫、半屏厝、東勢仔を巡行します。
十九、旧暦3月21日新坪を巡行します。
二十、旧暦3月22日宜欣を巡行し、巡行を終えて楽成宮に戻ります。
 

ひとことアドバイス

旧暦3月1日に始まり、18の村落を22日間にわたって巡行し、3月22日に神輿が楽成宮に戻ると、翌3月23日の媽祖生誕日には信徒が楽成宮で生誕祝いを開催します。参加希望者は特定の区間の参加と全行程の参加から自由に選択することが可能です。

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