正殿に掲げられている「大海慈雲」の扁額には次のような物語があります。1888年に新竹で干ばつが起こった際、知県の方祖蔭(生没年不詳)が城隍爺、龍神、観世音菩薩に雨乞いを行ったところ、観音媽から雨を約束されたため、神像を初めて竹蓮寺から出して巡行を行っていると、巡行の隊列が南寮漁港に到着する前に雨風が激しくなり、広範囲に恵みの雨が降り始めたそうです。そこで台湾巡撫の劉銘伝(1836~1896)に光緒帝への報告を願い出て、扁額を賜ったと言われています。「大海慈雲」の扁額には当時の新竹の干ばつの歴史が記録されており、金地に黒字で、双龍が珠を奪い合う造形で、額縁の両側には扁額を守護する一対の金龍が装飾され、中央には光緒帝の直筆であることを示す「光緒御筆之宝」の御印が押されています。
正殿の神棚に祀られた3体の観音媽の神像はどれも全身金色の泥塑で五仏冠をかぶっており、信徒からは親しみを込めて大媽、二媽、三媽という愛称で呼ばれています。一番後ろの大媽は竹蓮寺が建造された時に最初に祀られた神像です。二媽は南海普陀山の法雨寺から迎えられたもので、1888年の干ばつで雨乞いを行った際に巡行した神像でもあります。一番前にある小さな三媽は最も古い年代のもので、300年以上の歴史があります。
正殿の大梁の下には両手を合掌し、翼を広げている神像が左右にそれぞれ1体ずつ置かれています。これは仏教の「ガンダルヴァ」です。仏経『妙法蓮華経観世音菩薩普門品』によると、観世音菩薩には衆生の望みに応じて現世に現れて法を説く際の姿が32種あり、ガンダルヴァはそのうちの一つで、その神像は台湾では竹蓮寺でのみ見ることができます。
正殿の左右護龍に祀られた十八羅漢の神像は170年以上の歴史があると言われており、作者は不明ですが、非常に素朴な造形の彫刻が施されています。かつて盗難に遭ったことがありましたが、正殿の観音媽は「十八羅漢は互いに約束し合って出かけたのであり、3年以内に必ず見つけ出すことができる」と言い、実際に十八羅漢は3年後に税関職員によって押収され、竹蓮寺へと戻って来ました。
1951年の改修工事は地元の人々が設計・監督を務め、地元の人々が中心となって行ったため、廟内の泥塑、剪黏、交趾焼といった作品の多くは、名匠・蘇陽水(1894~1961)が台湾滞在中に取った唯一の弟子であり新竹県新埔鎮出身で「阿鳳司」と呼ばれていた朱朝鳳(1911~1992)の作品で、陳天乞(1906~1990)の作品もいくつか見られます。交趾焼の龍堵と虎堵の制作の際は、正殿後方に窯が作られ、その場で焼成と設置が行われ、非常に繊細な細工と熟練の構図が特徴的で、当時では珍しい大型作品が完成しました。次間にある「韋馱」と「伽藍」の泥塑の神像も朱朝鳳の作品で、これらは全て竹蓮寺の宝として保存されています。
銅や石材で製造される一般的な寺院の大香炉とは異なり、竹蓮寺の大香炉は非常に特別な七宝焼のものです。