前殿の屋根は中国の伝統的な宮殿や廟に用いられる歇山重簷式の仮四垂屋根で、台湾の寺院で最高級の建築様式を備えています。上下の軒の間には水車堵(軒近くの壁面に水平に施される装飾)があり、剪黏、交趾焼、泥塑などの装飾が施されています。建築様式には移民の故郷の背景も反映されており、例えば、屋根の伝統的な木造構造の三川脊式には、閩南地方の伝統様式が見受けられます。また、地面と壁面に積み上げられた幅が広くて平らな赤いレンガと瓦や三川殿と正殿の吊筒から伸びる龍頭なども同安、漳州、泉州地方の建築手法によるものです。
日本統治時代の1917年に保安宮の大規模な修復が行われた際、陳應彬(1864~1944)と郭塔(生没年不詳)の2人の建築家が正殿の真ん中を境界に木造の特色を活かしながら、それぞれ腕を発揮して精巧な作品に仕上げました。
正殿周囲の壁画はすべて台南の画家、潘麗水(1914~1995)の作品で、1973年に完成しました。壁画はすべて綿密に練られた構図と華麗で優雅な色使いが特徴的で、熟練の筆使いが感じられます。中国古代の神話や歴史の物語を題材としており、潘麗水の代表作の一つであるといえます。
三川殿の左右両側には数多くの石の彫刻作品があります。その中でも、廟内の龍柱はそれぞれ1804年から1805年に作られたもので、保安宮で最も古い彫刻作品です。また、三川殿の門に門神として描かれている秦叔宝と尉遅恭は劉家正(1955~)の作品です。
正殿の左右にある龍虎堵の交趾焼は、著名な職人である洪坤福(1865~没年不詳)の作品です。かつて洪坤福は師匠である柯訓に同行して台湾へと渡り、北港朝天宮と新港奉天宮の再建作業に参加し、その後、新港に定住し、弟子をとって技術を伝えました。洪坤福の作品である龍虎堵は、まるで今にも動き出しそうな美しい造形で人々を魅了し続けています。
保生大帝の生誕日には、1994年から伝統的な廟会に代わって活気あふれる文化の祭典、「保生文化祭」が催されています。「保生文化祭」では、三朝清醮の儀式、家姓戯の演劇、保生大帝聖誕宴王祭、芸陣のパフォーマンスなどが行われます。
保安宮の完成後、王、鄭、高、陳といった当時の富豪たちは余った建築材料を共同で買い付け、44軒の店舗を建てたと言われ、現在保安宮の右側にある哈密街の旧地名、「四十四坎」の由来になったそうです。