安岐集落にある泥塑で造られた立ち姿の「安岐風獅爺」は高さが3.78メートルあり、金門地区で最大の風獅爺です。安岐風獅爺は「風を鎮め、邪気を払う」役割だけでなく、一時期流行した「ハンセン病」を安岐から根絶したと言われており、この地方で最も重要な守り神となっています。安岐は古寧頭戦役の戦場となったため、風獅爺の体にも弾痕が点々と残されていましたが、後に国軍の協力のもとで現在の姿に修復されました。安岐風獅爺は1994年に台湾の郵便切手のデザインにも選ばれています。
瓊林民防坑道の出口にあたる環島北路の脇にある高さ188センチの石造りの「瓊林風獅爺」は、1949年に防御陣地の構築によって地中に埋められたことがありましたが、その2年後、大雨によって地表が流されて再び日の目を見ることになりました。その大きく猛々しい造形と美しい線は、文芸フェスティバルの一般投票において、「最も威厳のある神獣」、「最も品格のある装い」、「最も豊かな表情と姿態」の風獅爺に選ばれたことがあり、金門で一番の人気を誇る、金門観光の「イメージキャラクター」でもあります。
瓊林集落に建ち並ぶ閩南式建築の中の六世宗祠の右前方にあり、「最小の風獅爺」と称されています。瓊林21号にある民家の母屋の外壁に嵌め込まれており、長年にわたる風化により、現在は座った獅子の姿と鼻の穴と口だけが見分けられる状態となっています。石造りの鑲壁風獅爺は高さ28センチ、幅21センチとサイズは小さいものの、威厳のある姿をしています。
金門金寧郷東洲の孚佑宮の左前方にある「東洲風獅爺」は、金門で「失くした物を見つけること」を最も得意とする風獅爺と呼ばれています。レンガ造りの泥塑で、高さ131センチのしゃがんだ姿をしており、背中とたてがみが魅力的です。現在の姿は1995年に再建されたもので、既に「3代目」にあたります。村を鎮守する宝であることに加え、数多くの村人や観光客が失くした物を見つけ出したことや殺人事件の真相を解明したことで名声が広く知れ渡るようになったと言われています。
かつて官澳集落は金門の渡し場の一つで、官文書はここから金門に入って来ていました。もともとは2体の風獅爺がありましたが、1949年前後に行方が分からなくなり、その後、1995年に福建省の職人が制作した石彫りの風獅爺が買い付けられ、再びここに置かれました。しかし、高さ230センチの立ち姿の官澳風獅爺は、雄の特徴である「ひょうたん」があまりにもリアルに造られていることから、村人によってスカートをはかされ、今では「スカートをはいた風獅爺」と呼ばれています。
湖下にある泥塑で造られた立ち姿の「湖下風獅爺」は、高さ130センチで、コミカルな外見をしています。この風獅爺は1954年に造り直されたもので、非常に霊験あらたかで、加護を受けた村人たちには男児が続けて生まれると言われています。もともとは体が白く、周囲は金色でしたが、色あせていたために村人によって塗り直され、現在の姿になりました。丸みを帯びた可愛らしい造形で、アニメのキャラクターのようなコミカルさがあります。
古寧頭の双鯉湖の湖畔にある風獅爺は高さ1.2メートルの立ち姿の石像で、繊細な彫刻が施された綺麗な外見をしています。言い伝えによると、北山風獅爺の開いた口が向けられた林厝では絶えず騒ぎが起こっていたため、林厝の村人が夜の闇に乗じて風獅爺の左耳を切り落とし、前歯を叩き折ったと言われています。そのため、今でも風獅爺の左耳と前歯には修復の痕がはっきりと残っています。北山風獅爺は1994年に台湾の郵便切手のデザインに選ばれています。
陳景蘭洋楼のそばにあり、村人から敬意を込めて「石獅爺伯」と呼ばれている「成功風獅爺」は、高さ1.24メートルの立ち姿の石像で、海を鎮め、風を鎮める役割を担うだけでなく、地元の漁師の守り神でもあります。成功風獅爺が手にしたアジサイのような形をした球には「求めれば必ず叶う」という意味が込められており、風を鎮めて邪気を払い、漁師に大漁をもたらす役割を担っています。
塔后にある高さ約90センチの泥塑で造られた塔后風獅爺は、一般的な風獅爺の造形とは大きく異なり、完全に擬人化された外見をしています。可愛らしさの中に茶目っ気があり、両手を前に挙げ、胸の前には数珠つなぎになった鈴をぶら下げ、笑っているような、泣いているような、見る人を困惑させる面白い表情を浮かべています。地元では軍人の守り神として知られ、軍人は任務に向かう前に塔后風獅爺のもとを訪れ、任務を無事に終えられるように敬虔な祈りを捧げます。