江戸時代の典型的な仏教寺院建築で、台湾に現存する日本統治時代の木造建築の中でも最も初期に建てられた代表作です。タイワンヒノキを使って建てられたため、本堂に近づくとヒノキの香りが漂います。本堂は入母屋造りで、台座の欄干の柱石には日本人の死者の名前が刻まれており、神様の庇護を願うように本堂を囲んでいます。本堂には本尊の釈迦牟尼仏が祀られ、その上には「慈悲為懐」の扁額が掛けられています。また、右側には「観世音菩薩」と「現寿者相」の扁額、左側には「地蔵王菩薩」と「戒寿並尊」の扁額があります。その荘厳な姿は古くから残されてきたもので、作者は不明です。
本堂のそばにある旧鐘楼の山門もまた、台湾では希少な江戸時代様式の建築物です。山門の屋根は入母屋造りで、黒瓦、筒瓦、鬼瓦で覆われています。本堂の筒瓦に記された「鎮」の字は、厄払いや風を鎮めることを意味します。また、鐘楼の筒瓦に刻まれた「二文字に三つ星」は、台湾総督、児玉源太郎の家紋とも言われています。
寺の前にある「無住生心」(『金剛経』より:応無所住而生其心)と刻まれた人工の砥石は、日本統治時代の1918年に臨済護国禅寺の増築工事が行われた際に偶然発見されたもので、調査の結果、先史時代の人類が石器を磨くための道具であることが分かりました。1935年、台湾総督府は大砥石と発見された場所の円山貝塚を史跡記念物に指定して保護しました。第二次世界大戦後、大砥石は行方が分からなくなっていましたが、1953年から1954年にかけて、台湾大学考古学科の教師と生徒により現在地にて「円山文化」と「縄文文化」との2つの文化層を発見し、1975年、台北市文献委員会が実地調査を行った結果、山門の外に立つ「無住生心」と刻まれた巨石は、当時の大砥石であると推測され、そこで、背面に「大砥石沿革記略」の碑文が刻まれました。
臨済禅寺の後方の石段沿いには観音石があり、万霊塔前の広場には日本の「四国八十八カ所の石仏」の神像があります。もともとは88体の石仏がありましたが、現在はわずか9体のみ残されています。また、そのすぐそばに開山祖師である得庵玄秀和尚の墓があります。