1986年に創建された慈済静思堂は、世界中の慈済関係者にとっての精神的支柱となっています。白と灰色を基調に素朴で気品のある趣が表現され、唐風を模した13階建ての外観には飛檐がそびえ立ち、独特な3層構造の「人の字型」の屋根は仏、法、僧の三宝を備えていることを表しています。日本式の銅瓦36,000枚を使用しており、耐風性、耐震性に優れ、銅の酸化によって生成される緑青が自然の保護膜を形成し、荘厳な雰囲気を醸し出しています。梁上部の縁部分は仏教の神様の一つ「飛天」(「香音神」とも呼ばれ、インド神話に登場するガンダルヴァと緊那羅が元になっており、仏国で散華、歌舞、供献を司り、自由と快楽を象徴する神様です)が主な題材とされ、全長は約1,360メートルに及び、46組の人物によって362体の白銅の飛天の浮彫が装飾され、立体的な多数の飛天が建物の四面を取り囲んでいます。飛天はどれも素晴らしい出来栄えで、生き生きとした姿で表現されています。
静思堂と慈済大学の間にある静思竹軒は、1996年の慈済事業設立30周年の際にボランティアによって訪問者用の休憩場所として仮設され、3年後の取り壊しの際に長期利用できるように改築されたもので、台湾で唯一「插榫擠籠」と呼ばれる古い建築工法を採用して建てられた竹造りの建物です(竹自体の弾性を利用し、圧力を加えて湾曲させ、手作業で竹を削って作った釘を竹と竹の間に挿し、固定の強度を高める工法で、「竹籠」のような建物が出来上がることから「竹籠厝」とも呼ばれます)。静思竹軒の設計には四方竹が建材に使用され、大刺竹700本、孟宗竹1,370本、桂竹7,800本、大四方竹98本など、921大地震の被災地の竹が使用されており、総重量は8万キロを超え、その周囲には100以上の「知恵の窓」を象徴する差し替え可能な窓が設けられています。主体は正面と両側に護龍が設けられた台湾伝統の建築様式で、回廊によって3つの建物が連なり、中原の建築様式が取り入れられています。
静思竹軒と静思堂の間には証厳法師の「修道小屋」があります。1963年、証厳法師は比丘尼の具足戒を受けた後、花蓮に戻り、普明寺後方の幅10尺、奥行き12尺の木造の小屋で、昼夜読経、写経、拝経を続け、穢れのない生活を送りました。1975年、小屋は台風によって破損しましたが、後に慈済慈善事業基金会が古い写真をもとに再建し、文化園区内に設置しました。内部の装飾は当時の様子を再現しており、簡素な外観は慈済事業の初期の発展の歴史を物語っています。
静思堂側面の芝生と静思竹軒の入り口には、北朝鮮の芸術家による銅像作品が計13点あり、慈済世界、慈、悲、喜、捨、慈善、医療、教育、文化、骨髄ドナー、国際災害支援、地域ボランティア、急難救助が題材に用いられています。人物には写実的な表現法が用いられ、その中でも静思竹軒の入り口にある「慈、悲、喜、捨」を表す4つの銅像は、慈済の声なき説法を手話で表現しています。「慈悲喜捨」は慈済大学創立の主旨でもあり、校訓にもなっています。
講経堂は慈済静思堂の精神的支柱であり、慈済功徳会の創設者・証厳法師が教えを説く場所でもあります。高さ約37メートル、幅26メートル、奥行き34メートルあり、講義の際に2千人を収容することができます。室内は「人」の字型の空間設計が採用され、天井から太陽の光が降り注ぎ、荘厳な雰囲気を醸し出しているほか、熱気を排出する効果も果たしています。天井は空の星をイメージした設計で、座標軸が加えられており、宇宙の星空から仏法を説く仏陀をコンセプトとしています。
静思堂の6階にある慈済文史館には、証厳法師と慈済の各事業に関する出版物、特別刊行物、セミナー用マニュアル、印順導師に関する書籍、宗教に関する定期刊行物、論文など、仏教と慈済の慈善事業に関する書籍が7,200冊以上収蔵されており、慈済関係者だけでなく、慈済の歴史を研究する研究者にも貸し出しを行っています。