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新竹都城隍廟・竹塹中元城隍祭

台湾で唯一「都城隍」と称される城隍廟
新竹都城隍廟・竹塹中元城隍祭
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所在地: 新竹市北区中山路75号
経 緯 度: 120.96588,24.80449
料金: 無料
利用できる日:
利用できる時間帯:
午前4時30分~午後10時30分
主催機関: 新竹市都城隍廟
関係機関のURL: リンク
E-mail: citygod@seed.net.tw
お問い合わせ: (03)522-3666#9

景観の価値

新竹都城隍廟は新竹三大廟の一つで、清朝時代に台湾で唯一の省レベルの城隍廟だったことがあり、日本統治時代の改修の際、当時の名匠による作品が数多く残され、石彫り、木彫り、龍柱、石獅、門神、扁額、対聯、藻井はどれも精巧な造りで芸術的価値が高く、その中でも三川殿前にある青斗石の石獅は台湾の郵政史上はじめて石獅がデザインされた切手のモデルとなりました。長い歴史を持つ竹塹中元城隍祭は中元供養が発展を遂げたもので、古い作法に従って行われる儀式には深い文化的意義や地域の特色、民俗的意義が込められており、台湾の城隍廟の中で最大規模の集団での祈願行事でもあります。

歴史と沿革

1747年、淡水の同知として高い実績を上げていた曽曰瑛(生年不詳~1753)は竹塹に淡水庁を設置することを決めると、城隍廟の建設を開始し、翌年に完成させました。当時、新竹城隍は例にならって「庁城隍(県城隍レベル)、顕佑伯」と称されていました。1875年に台北は台北府に昇格しましたが、政府所在地には依然として新竹の淡水庁が使用されていたため、新竹城隍は「府城隍、綏靖侯」に昇格しました。その後、台北府城は1878年に艋舺(現在の万華区)に移されました。1891年、清朝政府は民間に伝わる天災の言い伝えに対応する形で、新竹城隍廟を厄除け祈願の消災法会の開催場所とし、新竹城隍は「都城隍、威霊公」の称号を授かり、当時の台湾で唯一の省レベルの城隍廟となりました。日本統治時代の1924年に城隍廟で老朽化に伴う改修工事が行われた際、地元の北門にある鄭家が資金を提供し、現在の素朴な外観が形成され、新竹竹蓮寺、新竹長和宮と合わせて新竹三大廟と並び称されるようになり、1985年には新竹市の市定古跡に指定されました。有名な竹塹中元城隍祭は城隍廟の中元供養行事が発展を遂げたもので、城隍爺が無縁仏の魂の救済を行う巡行、厄払いを行う「夯枷解厄」の法会が古い作法に従って行われます。首枷をつけた数千人の信徒が巡行して神様に敬虔な信仰心を示す場面はまさに圧巻です。2009年には新竹市の民俗行事に登録されています。

特色あるナビゲーショ

新竹都城隍廟・竹塹中元城隍祭平面図で標示新竹都城隍廟・竹塹中元城隍祭各ガイド項目、ガイド項目8ページ、詳しいコンテンツは下をご覧ください。
1三川殿の石獅

三川殿の石獅新竹城隍廟の三川殿前にある石獅は、石材の中では極上品の泉州市恵安県黄塘鎮の玉昌湖の青斗石を使用し、福州から職人を招いて細かな彫刻を施したものです。その青々とした色つやと生き生きとした造形が特徴的で、時間の経過とともに石材に自然と滑らかな光沢が生まれています。その愛らしい造形は中華郵政公司の郵政史上はじめて石獅がデザインされた切手のモデルにもなっています。

2三川殿の八卦藻井

日本統治時代の1924年に行われた改修工事の際に泉州市恵安県から招いた木工職人の王益順(1861~1931)の作品のうち、三川殿の八卦藻井は複雑で見事な彫刻が施されています。現在は線香の煙で黒ずんでいるものの、その繊細な細工の美しさが見て取れます。

3「金門保障」の扁額

「金門保障」の扁額1887年、新竹地区で干ばつが起こった際、新竹知県の方祖蔭(生没年不詳)が新竹都城隍廟の城隍爺、龍王廟の龍王、竹蓮寺の観世音菩薩に雨乞いを行ったところ、実際に雨が降ったため、台湾巡撫の劉銘伝に光緒帝への報告を願い出て、翌年その霊験のあらたかさを示す「金門保障」の扁額を賜りました。現在は正殿に掲げられ、この雨乞いの歴史を物語っています。この扁額は竹蓮寺の「大海慈雲」の扁額と同様に珍しい金地に黒字で、双龍が珠を奪い合う造形のもので、額縁には扁額を守護する対の金龍が配置されています。

4最後の皇帝・溥儀直筆の「正直」、「聡明」の四文字

正殿の横梁の「正直」、「聡明」の四文字は台湾で唯一の最後の皇帝・溥儀(1906~1967)直筆の扁額です。当時満州国初代外交部総長に就任して勲一等旭日大綬章を受章した新竹出身の謝介石(1878~1954)が願い出たもので、もともとは城隍廟内に保管されていましたが、第二次世界大戦後(1945年)に扁額の行方が分からなくなり、現在は復刻版のみが残されています。
 

5三川殿の龍柱

三川殿前後の軒先にそれぞれ配置された対の龍柱は、日本統治時代の大正期に城隍廟の再建が行われた際、有名な恵安県の石職人・辛阿救(1886~1928)が制作したものです。石材には黒灰色の安山岩を使用し、上部には八角柱の柱頭、下部には八角形の柱礎が配置され、頭を下にした龍が巻きついて連続した曲線を描き出しており、非常に象徴的な作風が感じられます。

6竹塹中元城隍祭の流れ

毎年旧暦6月28日に始まり、7月30日の關鬼門までの約一ヶ月間、次のような日程で行われます。一、6月28日:陰陽司公(道教の神であり、城隍爺の補佐)を神棚から下ろす。二、7月1日:開鬼門、陰陽司公を北壇に移して「夯枷、脱枷」の儀式を行う。三、7月12日:城隍爺を神棚から下ろして巡行の準備を行う。四、7月13日:城隍爺の大少爺、二少爺が夜回り(暗訪)の儀式を行う。五、7月15日:無縁仏の魂の救済を行う巡行、鄭厝貢燕。六、7月16日:城隍爺による村落の巡行。七、7月19日:城隍の供養。八、7月20日:城隍の入殿。九、7月30日:關鬼門。

7夯枷解厄

夯枷解厄毎年旧暦7月1日午後から開始される「夯枷解厄」の儀式では、数千人の信徒が罪人を縛る紙製の「首枷」を首に掛け(「夯枷」では罪人をまねて刑具を首にはめることで、人間には「原罪」があるということを表現する)、首枷をはめて外す儀式を通じて、城隍爺に罪を許してもらい、過去の業を幸運へと変えます。

8鄭厝貢燕

竹塹中元城隍祭は旧暦7月15日に城隍が無縁仏の魂の救済を行う巡行で最高潮を迎えます。城隍が新竹の市街地を巡行するほか、北門街の鄭氏家廟を訪れ、鄭家でお茶をごちそうになり顔を洗ってもらう「鄭厝貢燕」と呼ばれる儀式が行われます。この風習は台湾本籍で初めて進士の試験に合格したことから「開台進士」と称される竹塹北門の鄭用錫(1788~1858)が1828年の都城隍廟の改修の際に大きく貢献したことに由来し、鄭家への感謝として、都城隍爺の巡行の際は鄭氏家廟で鄭厝貢燕の儀式を行うようになりました。城隍爺の顔を洗った水には平穏無事を保つ効果があると言われており、多くの信徒に人気があります。

ひとことアドバイス

旧暦7月1日の午後に行われる「夯枷解厄」に参加するには事前の申し込みが必要です。旧暦7月13日の夜に城隍爺の大少爺、二少爺がたいまつを持って巡行を行う暗訪の儀式も参加の申し込みが可能です。

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