入り口と正殿の間にある中庭には花崗岩が敷かれ、礼拝用の広場には清の乾隆年間に造られた簡素な龍紋の浮き彫りのある大きな石段があります。正殿前にある馬背歇山式屋根の拝殿は唯一無二の工法が採用されており、最も特徴的な造形をしています。正殿の屋根はしなやかな曲線が美しい重檐歇山式(4つの斜面からなる屋根の上にもう一層の屋根が加えられた様式)で、三開間升三開間(左、右、中央に3つ空間があり、上方にも3つの空間がある様式)の雄大な佇まいの殿宇は形式と構造の美しさを兼ね備えています。
祀典武廟には数多くの古い扁額が収蔵されており、咸豊帝直筆の「萬世人極」の扁額のほか、「文武聖人」、「文経武緯」、「至大至剛」、「至聖至神」なども台南を代表する扁額と言われています。その中でも最も名高い作品が1791年に台澎兵備道兼提督学政の楊廷理(1747~1813)が記した「大丈夫」の扁額です。「大丈夫」という言葉は『孟子』の滕文公篇にある「富貴不能淫、貧賎不能移、威武不能屈、此之謂大丈夫也」に由来します。
観音殿に祀られた「伝神観世音菩薩」は顔が金色で、わずかにうつむき、慈悲深く穏やかな姿を見せており、遠くから見ると、参拝者の動きに合わせて神像の視線も動いているように見えます。これは明朝末期に寧靖王が邸宅内に祀っていた非常に貴重な仏像です。
1861年、祀典武廟付近の6つの通りにある開基武廟、霊佑宮、広安宮、倉神廟、祝融殿、赤崁土地といった6つの廟が協力して台南の治安を維持すべく「六和境」を組織し、共同の事務所であり冬季の治安防衛を指揮する「六和堂」を祀典武廟内に設立しました。堂内には火徳星君が祀られ、現在はイベントスペースとして使用されています。
廟門には門神は描かれておらず、中央の門には2枚の扉に各72個、側門には左右に各54個の門釘を用いた装飾が施されています。72の7足す2、54の5足す4は共に中国において伝統的な至尊の数と考えられている9になり、皇帝の高貴さを示すとともに、祀典武廟の地位の象徴にもなっています。
永福路のそばにある祀典武廟の朱色の切妻は高さが5.5メートル、全体の長さが66メートルあり、前方から順に山川門の「燕尾」、初拝殿の「硬山馬背」、拝殿の「馬背歇山」、正殿の「歇山重簷」、後殿の「硬山燕尾」といった5つの異なる形式の屋根が設けられています。高低差による起伏が曲線を描き、各建物の尊卑の序列が一目で分かるようになっており、視覚効果にも優れ、台南市の観光名所として親しまれています。