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台南祀典大天后宮

台湾で唯一清朝時代に政府が建造し祭祀を行った媽祖廟
台南祀典大天后宮
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所在地: 台南市中西区永福路2段227巷18号
経 緯 度: 120.20171,22.99643
料金: 無料
利用できる日:
通年
利用できる時間帯:
午前6時~午後9時
主催機関: 大天后宮
関係機関のURL: リンク
E-mail: tainanmazu@yahoo.com.tw
お問い合わせ: (06)222-7194

景観の価値

全国で初めて政府が建造し、唯一政府の祀典(皇帝公認であることを意味します)に記載された媽祖廟で、当初明朝末期に寧靖王と称された朱術桂(1617~1683)の邸宅として使用されていた時代の様式が守られています。台湾に二つとない明朝政府の建築物であるため、かつては政治的に重要な地位の象徴として扱われ、現在でも高い歴史的地位を有しています。拝殿は全国で最高かつ最大の巻棚式の屋根を構え、建物に施された石彫り、木彫り、色絵、及び廟内に収蔵されている歴史文化財は、数が極めて多く、どれも高い芸術的価値を有しています。清朝時代の皇帝から賜った扁額を含め、様々な時代の扁額が100以上保存されており、その数は全国で最多です。

歴史と沿革

政府が建造し、政府の祀典に記載された台湾最古かつ唯一の媽祖廟として知られています。1583年、台南地区には既に媽祖を祀った天妃廟があり、明朝末期の1663年に台湾へやって来た明朝の寧靖王とその家族は天妃廟の後方に建てられた寧靖王府に滞在しました。その後、天妃廟の増築に伴い、前方には媽祖、後方には観音大士が祀られ、東寧天妃宮と呼ばれるようになりました。1684年になると清兵を率いて台湾を平定した靖海侯・施琅の申し出によって、媽祖に「天后」の称号が授けられたことで東寧天妃宮は天后宮と改称され、さらに春、秋の祀典に加えられたことで大天后宮と改称されています。清朝時代に幾度もの改修と増築が行われ、1818年には火災によって深刻な損傷を受け、もともと祀られていた媽祖像が焼失しました。その後、郊商(当時の貿易商)が北港朝天宮から「三郊媽」を迎えたことで、有名な伝統行事である府城迎北港媽祖が始まりました。台南祀典大天后宮には各時代における様々な流派の建築技術の特色が残されており、歴史的、文化的、芸術的価値の高さから、1985年に内政部によって国定古跡に指定されています。

特色あるナビゲーショ

台南祀典大天后宮平面図で標示台南祀典大天后宮各ガイド項目、ガイド項目8ページ、詳しいコンテンツは下をご覧ください。
1靖海侯・施琅の石碑

靖海侯・施琅の石碑清朝の水師提督・施琅(1621~1696)は台湾奪還後に「靖海侯」の称号を授かり、1685年に台湾平定の経緯、安撫措置、善後処置などについて略記した石碑「平台紀略碑記」を建てました。精巧な彫刻が施された台湾最古の清朝時代の石碑で、歴史的価値が高く、現在は大殿の左側に置かれています。

2廟門の72個の門釘

廟門の72個の門釘通常門釘は一般的な寺院の大門には使用されず、皇宮や皇帝、皇后に値する地位の神様が祀られた官廟にのみ使用されます。そのため、台湾の一般的な媽祖廟には色絵の門神が描かれていますが、大天后宮の赤い大門は72個の門釘で装飾されており、大天后宮が祀典に記載された官廟であること、そして媽祖が崇高な神であることが示されています。

3螭首の石彫り

螭首の石彫り正殿の基壇には正面に4つの螭首(螭は龍の九子の一つと言われ、通常は鐘鼎、印章、碑首、石段、石柱などに刻まれ、建築物においては排水口の装飾に多く用いられる)の石彫りが嵌め込まれています。わずかに上を向き、威厳のある龍頭は、中国伝統建築において御殿の階段に施される石造りの螭首の特徴で、宮殿の威厳の象徴です。このような装飾は全国の媽祖廟の中でも大天后宮でしか見られません。

4巨匠の色絵

巨匠の色絵

大天后宮には至る所に一流の職人たちによる色絵の壁画が描かれています。三川殿から後殿までの両側の壁には、潘麗水(1914~1995年)と潘岳雄(1943~)親子、陳玉峰(1900~1964)と陳寿彝(1934~2012年)親子、及び丁清石(生年不詳~2004)といった国宝級の色絵職人による中国の民間伝承、神話、書法などを題材とした作品が並びます。これらの色絵は日本統治時代から6回に分けて制作、再制作、そして修正が行われてきました。
1、1943年、陳玉峰が正殿、正殿の前後廊の入り口、聖父母庁の後廊の入り口にある龍虎壁の作品を制作しました。
2、1956年、陳玉峰が三川殿、廡廊、拝殿に12の壁堵を制作しました。
3、1971年、聖父母庁を改修し、更衣亭を偏殿内の三宝殿として改築する際、潘麗水が聖父母庁の右側の壁に「花木蘭」を描き、三宝殿の神棚の両側にそれぞれ1枚の木板画を描きました。
4、1976年、陳寿彝が父である陳玉峰が大天后宮の拝殿と正殿に残した最古の作品を模写する形で再制作を行いました。
5、1980年、丁清石が陳玉峰の1956年の作品を模倣して修正を行いました。
6、1997年、潘岳雄が欠損箇所の復元を行いました。

5拝殿の巻棚式の屋架

大天后宮は伝統的な寺院建築を踏襲した木造の構造で、拝殿には台湾で最も高く、なおかつ最大である巻棚式の屋根が用いられています。巻棚とは古代中国の屋根の建築様式の一つで、2つの斜面が交わる部分が曲線状に湾曲しており、はっきりとした棟がなく、伝統的な建築力学を活用して釘を使うことなく組まれています。

6古い扁額

古い扁額大天后宮は「祀典」に記載されていることから、100以上の古い扁額が収蔵されており、現在掲げられている清朝の歴代皇帝から賜った扁額の中でも雍正帝の「神昭海表」、咸豊帝の「徳侔厚載」、光緒帝の「與天同功」は最も貴重なものに挙げられています。

7鎮殿大媽

正殿に祀られている高さ約5.45メートルの巨大な金面媽祖神像は、明朝時代に造られたもので300年以上の歴史があります。2004年、泥塑の神像内部にある木材の支柱が腐朽して神像が割れて損傷したため、修復を行ったところ、修復作業中に神像の中から清朝時代の石牌が3つ見つかり、そこには1822年に神像の修復が行われたこと、そして媽祖神像は金色の顔をした金面であることが記されていました。その後、神像は線香の煙で黒ずんでいたため、最後に実施された修復の際に元の姿への復元が行われました。媽祖の両側に配置された千里眼、順風耳将軍の彫像は清朝時代に造られた作品で、まるで生きているかのような躍動的な筋肉と威厳に満ちた佇まいが特徴的です。

8府城迎媽祖

3月は媽祖に熱狂するという意味の「三月瘋媽祖」という言葉があるほどの大きな賑わいを見せる媽祖の巡行儀式の起源は台南祀典大天后宮にあり、清の乾隆年間に廟務を取り仕切っていた商業組合「三郊」が媽祖の信仰と分霊を通じて、各地の郊商の交流と団結を図ったことをきっかけに、府城迎媽祖の歴史が始まったと言われています。清朝時代、巡行行事は雲林北港の媽祖が台南まで巡行する8日間の日程で行われ、参加する信徒の数は数十万人に達していました。日本統治時代の1915年には台南の「鎮南媽」が地元を巡行する形式に改められ、1937年に日中戦争が勃発すると巡行行事は中断されることとなりました。第二次世界大戦終結(1945年)後も政治情勢の影響を受けて毎年の開催には至らず、現在まで4年に一度、旧暦の子年、辰年、申年に2日間の日程で巡行が執り行われています。期間は媽祖生誕日の1カ月前で、毎回数十の寺院が参加し、巡行する神輿と陣頭の数は100以上にも上り、現在台湾で最大規模の陣容を誇る巡行行事として知られています。

ひとことアドバイス

一般開放時間は毎日午前6時から午後9時までで、年中無休です。大天后宮には文物陳列室があり、団体客の参観予約を受け付けています。旧暦3月23日の媽祖の生誕日は巡行などの祝賀行事で大きな賑わいを見せます。

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