1983年に増築された山門はアジア最大の五門式の木造の牌楼です。一般的な寺院の牌楼は2本の柱の間に「額枋」(木造建築の庇を支える柱と柱の間の横梁)を加えた形のものが多く見られますが、南鯤鯓代天府の牌楼は剪黏、屋根瓦、柱珠(柱の最下部にある防湿のための台座)を除き、全て無垢材を使用し、ほぞ継ぎで建てられています。12本の大きな木の柱には台湾で現在では伐採が禁止されているベニヒノキ一本丸ごとが使用されており、直径約81センチ、高さ14メートルあり、さらに幾重にも重なった屋根が雄大さを引きたてています。これらは「渓底派」の木工の巨匠・王益順の甥にあたる王錦木(1909~1996)の作品です。
凌霄宝殿内にある黄金で造られた純金の玉旨(無形界の最高の支配者である玉皇上帝が発布する詔書)は、高さ6.6メートル、幅2メートル、厚さ60センチで、製造費は6億新台湾ドルに上ります。これは南鯤鯓代天府が半世紀かけて計画を進め、長年にわたり玉旨の製造のために信徒から寄付された大小様々な黄金に南鯤鯓代天府が補足購入した黄金を加えた計10,800両(約405キロ)の黄金を鋳造したもので、世界一壮観な黄金の玉旨と称えられています。
正殿後方の壁面の「金銭壁」は日本統治時代の1926年に南鯤鯓代天府の再建工事が行われた際、澎湖県の内垵内塹宮が帆船で咾咕石を運搬し寄贈したものです。「金銭」は中央にある正方形の四辺に六角形を配置することで八角形を構成した「八卦亀錦紋」と呼ばれるもので、「財を招いて幸福に恵まれる」象徴であり、独特な装飾芸術を作り出しています。金銭壁の右下には「大正丙寅年(1926年)澎湖郡西嶼庄内塹宮敬献」の落款が残されており、南鯤鯓と澎湖の王爺信仰の関係を証明するとともに、台湾で唯一無二の壁面装飾として知られています。
南鯤鯓大鯤園の築山、流水、池、東屋は中国江南の古風な趣に満ち、進香に訪れた参拝者の休憩場所として利用されています。園内に設けられた「南鯤鯓文史館」には王爺信仰、歴史、沿革などの文化・歴史資料が豊富に収蔵されており、信仰の普及と信徒の移住に伴い台湾各地に分霊された神様と分霊廟の分布について知ることができます。