1944年に日本政府が建てた西螺神社が台湾光復後に取り壊された際、そこにあった石灯籠と手水鉢が福興宮に移されました。正面には「奉献福興宮太平媽、螺陽全鎮衆弟子仝叩謝、民国三十八年春穀旦」、背面には「西螺街学校職員生徒学員一同」と刻まれており、現在は廟の前方左側に置かれ、かつて存在した西螺神社の歴史を物語っています。
正殿にある石造りの香炉と同時期に造られた古い作品です。現在は偏殿に収蔵されている1813年当時の大きな供物台は、正面に5つの同じ様式の半立体の透かし彫りが施されています。最も保存状態の良い中央の人物像は、経巻を持ち木の下に座っている老人で、垂れ下がった細い目の落ち着いた表情が特徴的です。