吉安慶修院は台湾では非常に珍しい日本風の仏堂で、日本の伝統的な建築様式が採用されています。主に木造構造で、仏堂の正面には軒が張り出た入口があり、三方の廊下には木造の欄干が配置され、幅は3間、奥行きは4間となっています。仏堂は日本式の四角形の「宝形造」(四面、六面、または八面の平面が屋根の頂点に集まった形式で、宝石のカット面のような尖った屋根)の屋根で、金属製の波板が敷かれ、木造の骨組みには頭貫、斗拱(三斗六枝掛)、木鼻などの木造の部材が組まれており、典型的な江戸時代の建築様式が取り入れられています。
仏堂前の左側にある高さ約1メートルの不動明王の石像は、かつて慶修院の主祀神として祀られていたものです。不動明王は「不動使者」や「不動尊」とも呼ばれ、仏教の密教において5つの方位を鎮守する五大明王の中で中央を鎮守する主尊で、その激しい怒りの形相は大日如来の憤怒を表しています。
山門内の歩道の終わりにある「光明真言百万遍」の石碑には以前より不思議な言い伝えが数多く残されており、病人がここで膜拝を行い、高さ2メートルの石碑の周りを回り、住職や布教師の後について「南無大師遍照金剛」と唱えながら石碑の周りを108周回ると、長年悩まされていた病気がたちまち全快すると言われています。『光明真言』は東密真言宗の最も根本的な呪文で、密教行者は百万遍唱えることが要求され、強力な光明の磁場を生み出すことができると信じられています。
仏堂の真正面に立つ高さ1メートルにも満たない「百度石」は、日本の寺院に設けられる礎石で、ここから主殿までを百度往復して参拝することで願いが成就すると言われています。願いが叶ってお礼参りをする場合は千度往復して神仏のご加護に感謝を示します。
慶修院の壁面に並べられた88体の石仏は、88の煩悩を象徴するとともに88の願力を表しています。言い伝えによると、日本統治時代に吉野布教所の創設者と当時の信徒は、真言宗の開祖・弘法大師空海(774~835)が遺した規則に従い、四国の島内に散在する88ヶ所の寺院(「四国八十八ヶ所」と呼ばれる日本の密教の伝統。四国八十八ヶ所を巡る道のりは非常に長いことから、日本統治時代の初めには、88の寺院の本尊を復刻した彫像を1ヶ所に集めて祀る寺院が見られた)を巡ったと言われており、その際に仏像を迎え入れたことで、信徒は苦労して長い道のりを歩かなくても身近な場所で参拝できるようになったとのことです。