横方向の建物が4つと中庭が3つある「四進三院」の建築様式で、大成門、戟門、大成殿、崇聖祠によって形成され、1830年の改修時の規模が今も守られています。中国の文廟に近い空間配置で、大成殿の左側に明倫堂が設けられており、中国漳州、泉州の伝統的な学府にならって明倫堂に崇聖祠が設けられていますが、大成殿の後ろにある崇聖祠の両側には台湾の様式にならって郷賢祠と名宦祠が設けられています。。
櫺星門とは孔子廟の大門のことで、五開間(大きな柱で5つの空間に区切られていること)、屋根は3段式の燕尾型という建築様式が採られています。櫺星とは天上の文学者「文星」のことで、孔子は文星から人間界に降りて来たと言われていることから、孔子廟の大門は櫺星門と命名されました。一般的な寺院とは異なり、門に門神は描かれておらず、古いしきたりにならって108個の門釘で装飾が施されています。一般的な孔子廟の櫺星門には竹筒のような形状の「通天筒」が2つ設けられていますが、彰化孔子廟の櫺星門の屋根には6つの通天筒が設けられている点が大きな特色です。屋根に立つ通天筒は崇拝を意味し、孔子の古今を問わない徳の高さを象徴しています。入り口の両脇には、龍生九子の「椒図」を模した螺旋模様の彫刻が刻まれた一対の抱鼓石が並んでいます。椒図は閉じることを好み、よそ者が巣穴に入るのを嫌うと言われているため、しばしば入り口の装飾として使用されます。
戟門の左側に設置された「下馬碑」には、孔子廟を通る際は孔子への敬意を示し、馬を降りて歩くようにと呼びかける「文武官員軍民人等至此下馬」との文字が大きく記されています。また、戟門の右側にある「萬仞宮牆」の碑文は、孔子の徳の高さと学問の深さを表した「夫子之牆数仞、不得其門而入」という『論語』の一文を引用したものです。
彰化孔子廟の2つ目の門である戟門は大成門とも呼ばれ、台湾の孔子廟に設置された初めての例です。「戟」とは古代中国の武器で、ここを訪れた武将は孔子への敬意を示して、大殿に入る前にこの戟門で手持ちの武器を外すことが義務付けられていました。戟門の両側のレンガ造りの壁に施された見事なレンガ彫りは台湾の寺院では珍しいものであり、彰化孔子廟の特色の一つとされています。レンガに刻まれた牡丹や花瓶などの模様は富と平安を表しています。戟門の屋根に並ぶ「龍の頭と魚の尾」を持つ一対の「螭吻」は龍生九子の一つで、水を吐き出すことを好むとされることから、火災防止の意味を込めて屋根に設置されています。内部には1811年に鋳造された「鏞鐘」が掛けられており、その表面には「臺郡彰邑」と刻まれています。両側にある円形の門はそれぞれ「礼門」、「義路」と呼ばれ、改修前の門は八角形をしていました。
大成殿は大成門や崇聖祠とは繋がっていない独立した建物です。中央には神棚、花罩、托木、蟠龍柱が配置され、孔子の位牌が祀られています。正殿の幅は五開間で、屋根は重簷歇山式(4つの斜面からなる屋根の上にもう一つの屋根が乗っており、尊貴を象徴している)が採用されており、周囲は廊下に囲まれ、大成殿前には孔子を祀る式典に使用される神聖な場所「月台」が設けられています。大成殿内には、雍正帝の「生民未有」、乾隆帝の「與天地参」、嘉慶帝の「聖集大成」、咸豊帝の「徳齊幬載」、同治帝の「聖神天縦」など、清朝の歴代皇帝から賜った貴重な扁額が並んでいます。
大成殿の土台の周辺には、積み重ねたレンガの凹凸を利用して模様を装飾する非常に特徴的な工法が用いられており、くぼんだ部分に石灰を塗ることで、吉祥や富を象徴する「万字盤長(卍)」、「香炉」、「古銭」、「亀甲」といった4種類の模様を際立たせています。
大成殿の前にある龍柱は1830年に実施された改修工事の際に花崗岩を使って造られた作品です。各柱に龍が1頭ずつ巻きついており、左側の龍柱の龍は口を開き、右側の龍は口を閉じ、4つの爪で珠を掴んでいます。柱には雲や岩石の造形が施され、立体感を出すためにわずかに透かし彫りの技法が用いられています。