2つの廟が並ぶ珍しい景観を持つ長和宮と水仙宮は2つの軸が平行に並んだ外観で、内部には両廟ともに類似した建築様式が用いられており、異なる時期に建設されたものですが、同じ一派の職人の手によるものであると考えられます。長和宮は三進三開間で2つの回廊があり、第一進と第二進の間に中庭があります。拝殿の屋根は巻棚頂と呼ばれるもので、斗を垂直に積み重ねた畳斗の獅座が採用され、中軸線の床には拜石が嵌め込まれています。正殿の屋根は四点金柱と呼ばれる重要な4本の柱に三通五瓜という骨組みが渡され、後副点金柱によって神棚が閉じられています。観世音菩薩を祀った後殿の「竹安寺」の屋根も三通五瓜式で、正殿の屋根よりもやや低くなっています。清の同治年間に建てられた水仙宮は二殿二廊式で、2つの廟の間には路地があり、員光(通梁の下にあり、梁と柱の構造安定性を高める短めの木造の部材)門でつながっており、長和宮と一体となっています。歩口の員光は造形が特殊で、書籍型をしています。また、三川殿前後の大きな木の骨組みは対称になっており、あまり見られない工法です。1998年、水仙宮も新竹市の市定古跡への登録が発表されました。
987年に媽祖が逝去した後、湄洲祖廟は媽祖が天に昇った後に残った髪を保存し、それを3つに分けて「軟身神像」と呼ばれる手足が動く神像を3体作ったと言われています。言い伝えによると、長和宮正殿に祀られている湄洲祖廟正三媽軟身神像の髪は生前の媽祖のものであり、非常に貴重です。媽祖が台湾へ渡って来た時に身につけていた鳳凰の冠と刺繡の肩掛け、錦織の衣服、纏足の靴、刺繍の巾着は270年以上の歴史があり、全て廟内に収蔵されています。
現在廟内に収蔵されている長和宮の宝「七宝銅炉」は明の宣徳年間(1426~1435)の銅炉の模造品で、非常に素朴な形状が特徴的です。もう一つの紅紋玉石香炉は1820年に製造された極上品で、表面に「天上聖母」の文字が刻まれています。
長和宮と水仙宮の色絵は国宝級の色絵芸術家・潘麗水(1914~1995)の息子である潘岳雄(1943~)が「披麻抓灰」(木材の表面に下地として漆喰を塗って亀裂を埋めた後、麻布で覆い、漆喰を塗り、桐油漆を塗り、表面を平らにしてから作画作業を始める技法)で制作したもので、明間の門神「秦叔宝」、「尉遅恭」や次間の宮人、屋根の梁や柱など、歴史上の人物や花や鳥が多く描かれ、色絵が施されていない場所はほとんどありません。