盛大に催される王公過火の生誕式典は王爺の生誕日の前日早朝の「謝三界」、「謝平安」で幕を開けます。祭典の全日程は次の通りです。一、謝三界、謝平安(謝令旗)。二、王公の生誕祝い。三、お供え物を準備して神様の兵隊を慰労する「犒軍」、地府の礼拝。四、過火の儀式。過火の儀式は次の手順で行われます。1、将斗桌、五営の設置、火場の浄化。2、請火、起火。3、神様を神輿に乗せる。4、捉童乩。5、法術を施す、火の山の浄化。6、跳過火。7、王公の安座。
王公の生誕を祝う過火の儀式の前日早朝に王公廟前で行われる謝三界は、主に天上の神々の加護に感謝するためのもので、約2時間に渡って行われます。続いて、武轎、官将首、太鼓隊、火令旗隊などが、各村落で人々を守る五営兵将に感謝の意を示す「謝平安」(謝令旗)に出発し、五営の位置を順番に回り、道教の儀式で各営の兵将に感謝を示した後、黒令旗を王公廟に持ち帰って、犒軍の儀式で慰労し、正午の丑の刻に「地府の礼拝」を行うことで、一連の儀式は終了となります。翌日の王公の生誕祭は夜明け前の子の刻から始まり、廟内で生誕祝いの儀式が行われます。
王公の生誕祭当日のメインイベントである「過火」の儀式では、午前7時に現地の高齢者や経験者たちが「火炭組」を務め、王公廟内で王公から火を授かり、火を起こす「請火、起火」を行います。全ての準備が整い、午後になると、擲筊によって王公に指示を仰いで「過火」を開始します。以前は約2万斤の木炭が使用されていましたが、現在は環境保護に配慮して1万斤ほどにまで減らされています。
王公の生誕祭当日の午後1時、王公廟で独自の王公武轎と呼ばれる神輿を担いで「捉童乩」の時間と方位が示されると、緊迫した雰囲気の中、一組一組の王公武轎が出発して廟前の火場へと向かい、王公廟付近の鎮安村、二結村、復興村などの村落で「童乩」を探します。「捉童乩」とは、神々自らが憑依するためのシャーマン「乩童」を選択することで、王公は乩童がどこに隠れているかを把握します。神輿の「輦轎」が乩童を見つけると、乩童は憑依状態となり、両頬に銅の針を突き刺して、五鳳旗を背負い、伝統に従って王公武轎の上に立ち、黒令旗と法器を振りかざして、信徒に囲まれた状態で市内を巡行します。王公廟の山門を通過した後、輦轎が廟前の大広場に戻ると、過火の儀式が行われます。
儀式全体の中で一番の盛り上がりを見せるのが、火の上を駆け抜ける「跳過火」です。小さな丘のように積み上げられた木炭の下では真っ赤な炎が燃え盛り、大勢の観衆が押し寄せるなか、全員が息を潜めてその時を待ちます。毎年数十の武轎が参加し、火場を2周した後、過火を行う順に並び、擲筊で聖筊が出て王公から指示を受けると、爆竹、花火、銅鑼、太鼓が激しく鳴り響く中、黒令旗を持った者が先陣を切って火の山を駆け抜けます。続いて5枚の五営旗、乩童、大王公、二王公が順に火の上を駆け抜けていきます。壮観な光景に拍手の音が止むことはありません。最後に、武轎を担いだ信徒や神像を抱えた信徒が神様の位の順番に火の上を駆け抜け、王公廟に戻って安座の儀式を執り行います。儀式は約1時間で終了します。
二結王公廟の旧廟は伝統的な中国式寺院で、内外の様式は古風で伝統的な建築構造となっており、噶瑪蘭の第二世代の職人による渾身の作が結集しています。1997年、廟内の狭さを理由に、地域住民によって新しい廟の再建が決定されると、同年、文化財の保存を目的に、旧廟は千人規模の信徒の手によって新しい廟の基礎部分の向かい側まで移動された後、全面的な修復が施されました。2002年には宜蘭県の歴史的建造物として登録され、現在は地域の生活文化館として利用されています。