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艋舺龍山寺

台湾初の轎頂式の鐘鼓楼と銅鋳の龍柱を備えた寺院
艋舺龍山寺
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所在地: 台北市万華区広州街211号
経 緯 度: 121.49993,25.03678
料金: 無料
利用できる日:
通年
利用できる時間帯:
午前6時~午後10時
主催機関: 財団法人台北市艋舺龍山寺
関係機関のURL: リンク
E-mail: hermitchu@gmail.com
お問い合わせ: (02) 2302-5162

景観の価値

龍山寺は清朝時代の艋舺地区の信仰、自治、自衛の中心地で、艋舺清水巌、大龍峒保安宮と合わせて「台北の三大廟門」と称されます。日本統治時代の1920年の改修時、泉州の大工職人の王益順、石工職人の辛阿救、交趾焼・剪黏職人の洪坤福といった名匠の作品があちこちに施され、伝統芸術のギャラリーとなりました。前殿には八角形の藻井と台湾で唯一の鋳銅の龍柱、本殿には金の柱に支えられた円形螺旋状藻井があり、非常に珍しい特色を備えています。建物全体に見られる石や木の彫刻、色絵、外観上の構造など、すべて繊細で、伝統寺院の美しさを際立たせているだけでなく、高い芸術的価値があり、台北市の市定古跡に指定されています。両側にある護室の上には、台湾初の轎式の二重構造の屋根を持つ鐘鼓楼があり、その美しく壮大な建築様式は、後に建てられた各地の寺院の建築様式に影響を与えました。

歴史と沿革

艋舺(現在の万華)は台北の発祥の地です。清朝時代に開拓を行った漢人は、1738年に資本を出し合って龍山寺を建設し始め、福建省晉江県の安海龍山寺から観世音菩薩の分霊を迎え、1740年2月に落成しました。清の嘉慶、同治年間には大地震と暴雨によって損傷したため、大規模な改修が行われ、日本統治時代には建物の一部が学校、軍営、事務室として使用されていました。日本統治時代の1919年、建物の老朽化が見られたため、住職の福智法師と地元の名士が募金を集めて改修を行い、大工職人の王益順(1861~1931)と石工職人の辛阿救(1886~1928)を迎えて、現在の龍山寺の基礎となる外観が築かれました。第二次世界大戦中の1945年、龍山寺は米軍の爆撃によって破壊されましたが、戦後の貧困から、1955年まで復元工事は行われませんでした。日本による統治が終わった後も幾度の改修が行われ、1999年の「921大地震」の際に正殿(中殿)の石柱が破損したため、再び修復工事が行われ、現在は台北市の市定古跡となっています。

特色あるナビゲーショ

艋舺龍山寺平面図で標示艋舺龍山寺各ガイド項目、ガイド項目7ページ、詳しいコンテンツは下をご覧ください。
1三進四合院の宮殿建築

龍山寺前殿回の字の形に配置され南向きに建てられており、中国の古典的な三進四合院の宮殿建築で、前殿(三川殿)、正殿(中殿)、後殿(聖母殿)と左右の護龍から構成されています。前殿の幅は11開間(建物の正面の間の数を意味する古代中国の建築の計算単位)に達し、その壮大な外観は、三川殿、龍門庁、虎門庁に分けられます。三川殿には美しい彫刻による装飾が施されており、壁面には青石と白石による均等で美しいコントラストが形成されています。正殿の幅は5開間で、龍山寺の主要な殿堂であり、観世音菩薩が祀られています。基台の高さが目立つほか、正殿の前に張り出した月台を参拝することもできます。周囲には内外に計42本の石柱が使用され、正殿の広々とした構造が際立っています。

2二重構造の屋根の山門

龍山寺の山門龍山寺の山門は1960年代に建てられました。4本の柱で3つの開間が形成された四柱三間で入母屋造りの二重構造の屋根を持つ牌楼で、著名な建築家であり民俗芸術家の廖石成(1899~1984)によって設計されました。簡潔で洗練された造形は後ろ側の三川殿と見事に溶け合っています。

3前殿(三川殿)の八角藻井

八角藻井藻井は中国の高貴な建築物にのみ使用されるものです。前殿の八卦藻井は32組の斗と栱が中心に向かって集まり、その隙間には斜め方向の栱が組み込まれ、内側と外側の2周に分けられています。この精巧で美しい構造は、泉州の名匠、王益順の手による作品です。

4鐘鼓楼

六角形の鐘鼓楼龍山寺には六角形の鐘鼓楼があります。一般的に、伝統的な寺院の鐘鼓楼は独立した楼閣ですが、市内の限られた空間にあるため、「護室」(主要な庁堂と垂直な長方形の建物)の上に鐘鼓楼が建てられています。鐘鼓楼が轎頂式の屋根を備え、上部には三重構造の軒があることが最も特徴的で、台湾の寺院の鐘鼓楼としては初の建築様式で、後に建てられた各地に寺院の建築様式に影響を与えました。東側は鐘楼、西側は鼓楼となっており、現在の外観は泉州の名匠、王益順が改修したもので、その後、戦後の1945年に廖石成によって修復が行われ、上の軒がわずかに高くなりました。

5銅鋳(彫)龍柱

三川殿の正面入り口にある龍柱は三川殿の正面入り口にある龍柱は、台湾で唯一の銅鋳龍柱です。これは1920年にアモイの交趾焼・剪黏職人、洪坤福(1865~没年不詳)が胎土を成形した後、台北鉄工場の李禄星(生没年不詳)が鋳造技術を用いて仕上げたものです。龍の体ははっきりとした線で形作られ、柱本体には封神演義の人物の彫刻が施され、柱の底部には波、鯉、柱珠が装飾されており、当時の職人の設計に対する創意工夫が感じられます。

6正殿(中殿)の螺旋藻井

龍山寺の正殿の4つの金の柱の真上にある螺旋藻井は、直径5.82メートルで、32組の反時計回りの斗と栱で形成されています。これも泉州の名匠、王益順の手によるもので、もともとは斗と栱が時計回りに広がるものでしたが、戦後の1945年の改修の際に反時計回りに変更されました。

7正殿(中殿)の釈迦牟尼仏立像

正殿にある高さ1.11メートルで、荒々しい線で彫刻された釈迦立像は、日本統治時代に艋舺出身の台湾初の彫刻家、黄土水(1895~1930)によって1925年に作られたもので、南宋の梁楷(生没年不詳)の水墨画「釈迦出山図」をモデルとしています。第二次世界大戦中に戦火に遭いましたが、その後、行政院文化建設委員会(現在の文化部)によって元通りに復元されました。

ひとことアドバイス

艋舺龍山寺で毎年定期的に開催される祭典や民俗行事には、旧暦1月の光明灯の点灯、花灯展、4月の浴仏節、7月の盂蘭盆勝会などがあります。行事ごとに大勢の人が集まり、台湾の伝統的な宗教文化を体験することができます。

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