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台北霞海城隍廟.五月十三迎城隍

台湾で一番人気の「月下老人」廟
台北霞海城隍廟.五月十三迎城隍
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所在地: 台北市大同区迪化街1段61号
経 緯 度: 121.51014,25.05562
料金: 無料
利用できる日:
通年
利用できる時間帯:
午前6時16分~午後7時47分
主催機関: 台北霞海城隍廟
関係機関のURL: リンク
E-mail: Ing.tai.wu@gmail.com
お問い合わせ: (02) 2558-0346

景観の価値

台北市大稻埕地区の民間信仰の中心地で、「月下老人」の縁結びで世界的に有名な寺院でもあります。幾度の改修を経て、建物の規模は小さいものの、伝統的な閩南様式の寺院建築の持つ美しい曲線や装飾といった特色を継承しています。廟内の装飾芸術には、泥塑、壁画、色絵、剪黏、交趾焼が見られ、日本統治時代の作品に加えて、修復作業にも多くの名匠が携わっており、神像、祭器、扁額、楹聯、石碑、歴史的文化財が保存されています。有名な霞海城隍の祭典は100年以上の歴史があり、大稻埕の重要な信仰行事であると同時に、台湾北部の一大宗教行事でもあります。伝統儀式「暗訪」巡行は台北の三大「暗訪」の一つで、台湾北部一の巡行と称され、祭典が催される旧暦5月13日の盛況は「五月十三人看人」と喩えられています。また、台北霞海城隍廟の建設と発展の過程からは、福建省同安から大稻埕に移り住んだ移民の歴史が垣間見えます。

歴史と沿革

台北霞海城隍廟は迪化街に位置し、霞海城隍爺が祀られています。大稻埕地区の民間信仰の中心地で、法主真君廟、慈聖宮媽祖廟と合わせて「大稻埕三大廟」と称されます。1821年、船で艋舺に到着した100人余りの泉州同安人の中の一人、商人の陳金絨は、同安から持ってきていた霞海城隍神の像を自宅(艋舺八甲庄、現在の老松小学校付近)に祀り、同郷の人々も礼拝に訪れました。1853年、艋舺で起こった「頂下郊拚」というグループ間の争いによって、同安人は大稻埕に移り住むことになりましたが、騒乱の中でも城隍神の像は保存され、1856年に同安人によって現在の城隍廟の所在地に廟が建てられるまで、陳家に祀られていました。廟内はわずか46坪と狭いものの、かつては神像の数が600体以上に達したこともあり、台湾で神像密度が最も高い廟となっています。1971年には月下老人が新たに祀られ、現在は台北の市定古跡に指定されています。

特色あるナビゲーショ

台北霞海城隍廟.五月十三迎城隍平面図で標示台北霞海城隍廟.五月十三迎城隍各ガイド項目、ガイド項目8ページ、詳しいコンテンツは下をご覧ください。
1構造と梁・柱の色絵

街屋式建築。「擱檁式」(桁木を直接切妻に置く建築様式)の構造で殿内には柱が一本もありません。簡単な構造であるため、その装飾は楹に施された色絵が主なものとなっています。拜殿の後部にある寿梁は、正面の中央に「僧俗問答」、両側に「秋菊」と「清荷」といったように3つの色絵が施されています。正殿にある2つの大きな楣の正面に施された色絵も3つに分けられており、前方の楣は「孔項問答」、その左右は「南極星輝」と「麻姑献寿」を題材としています。これらはすべて、故人の台南名画家潘麗水(1914~1995)の弟子、蔡龍進(1948~)の作品です。また、神棚の上にある大きな楣の「富貴寿考」と左右の「蓮」と「梅」は、潘麗水の息子である潘岳雄(1943~)の作品です。

2交趾焼の装飾

空間が狭いため、廟内の装飾芸術は、殿内の壁面、拝殿の切妻の墀頭(軒の近くで切妻の先端が斜めになっている部分)、廊下の壁に集中しています。1994年の改修工事の際に交趾焼を用いた装飾が多く施され、その中でも拝殿の切妻の左右の墀頭には、精巧で生き生きとした「南極星輝」と「麻姑献寿」が見られます。また、左護室の切妻には「迎城隍」の交趾焼の装飾が施され、掛け軸型の身堵には「八仙」を題材とした交趾焼の装飾が見られます。

3陳寿彝の壁画

陳寿彝の壁画拝殿内の両側壁面と神棚付近の左右両側には、それぞれに水墨画による人物壁画が飾られています。拝殿は「其寿無極」と「招財進宝」、神棚は「群仙宴会」と「竹林七賢」を題材としており、すべて台南の名画家陳玉峰(1900~1964)の息子、陳寿彝(1934~2012)の遺作です。作品には水墨画による人物画の伝統風格が漂い、簡潔で力強い線と美しい構図からは巨匠の奥深い技術が感じられます。

4拜殿の剪黏

拜殿の剪黏拜殿の剪黏

廟内で最も素晴らしい剪黏作品は拝殿内の両側壁面にあり、壁面上部には、水車堵と呼ばれる装飾がそれぞれ施されています。これは日本統治時代に改修が行われた際の作品で、三国志演義と古代中国の封神演義の物語を題材としており、作品は黒ずんではいるものの、完全な状態で保存されています。また、拝殿後部の左右壁面に施された剪黏による装飾「祈求」と「吉慶」は、日本統治時代の巨匠、陳天乞(1906~1990)の遺作です。作品には精巧な細工が施され、人物の表情や姿は生き生きと描かれています。

5「龍虎堵」の泥塑

「龍虎堵」の泥塑「龍虎堵」の泥塑

正殿の左右両側の壁面に施された大型の泥塑による装飾は、左側が「龍堵」、右側が「虎堵」です。日本統治時代の改修時に芸術家の陳天乞が制作した作品で、その非常に生き生きとした構図には優れた趣があります。背景は黒地で、近年改修が行われた際に改めて彩色が施されたことで、立体感が高まり、龍と虎の威風堂々とした姿が一層強調されました。

6門神画

門神画拝殿の正面には三川門があり、色絵が施された中門では、門神として描かれた「秦叔宝、尉遅恭」が鎧に身を包み、腰に弓矢を携え、威厳ある佇まいを見せています。精巧を極め今にも動き出しそうな作品は、画家の潘岳雄によるものです。

7「五月十三迎城隍」の祝典

「五月十三迎城隍」の祝典台北霞海城隍廟の最も有名な旧暦5月13日の「迎城隍・迎神賽会」の祝典は、1879年に起源を持ち、大稻埕の重要な信仰行事であると同時に、台湾北部の一大宗教行事でもあります。その規模の大きさは「北港の迎媽祖、台北の迎城隍」と称されるほどです。祝典では、将兵の配置、生誕祝い、暗訪、迎城隍、梁皇法会、将兵の撤収、演戯などが順に行われ、七爺、八爺、文判官、武判官などの神様が巡行に出て圧巻の迫力を感じさせます。このことから「五月十三人看人、迎神賽会甲天下」のように、その盛況は天下一の「迎神賽会」であると讃えられており、台北市の民俗行事として登録されています。

8城隍夫人の靴

城隍夫人の靴早期の大稻埕は台北で最も重要な経済発展の地域だったことから、遊郭が栄えていました。そのため、大稻埕の女性たちは城隍廟を訪れ、同じく女性の城隍夫人に夫が遊郭に出入りせず、家庭円満になることを祈願し、願いが叶うと、感謝の気持ちとして刺繍靴を城隍夫人に捧げました。その後、毎年旧暦9月4日の城隍夫人生誕日に、靴とケーキを持ち城隍夫人の生誕を祝う伝統風習になりました。

ひとことアドバイス

霞海城隍廟は台湾の有名な月下老人廟です。廟内では、中国語、英語、日本語による参拝方法の案内を行っています。また、参拝者の手間を省くため、月下老人へのお供え物も廟内で提供されています。

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