街屋式建築。「擱檁式」(桁木を直接切妻に置く建築様式)の構造で殿内には柱が一本もありません。簡単な構造であるため、その装飾は楹に施された色絵が主なものとなっています。拜殿の後部にある寿梁は、正面の中央に「僧俗問答」、両側に「秋菊」と「清荷」といったように3つの色絵が施されています。正殿にある2つの大きな楣の正面に施された色絵も3つに分けられており、前方の楣は「孔項問答」、その左右は「南極星輝」と「麻姑献寿」を題材としています。これらはすべて、故人の台南名画家潘麗水(1914~1995)の弟子、蔡龍進(1948~)の作品です。また、神棚の上にある大きな楣の「富貴寿考」と左右の「蓮」と「梅」は、潘麗水の息子である潘岳雄(1943~)の作品です。
空間が狭いため、廟内の装飾芸術は、殿内の壁面、拝殿の切妻の墀頭(軒の近くで切妻の先端が斜めになっている部分)、廊下の壁に集中しています。1994年の改修工事の際に交趾焼を用いた装飾が多く施され、その中でも拝殿の切妻の左右の墀頭には、精巧で生き生きとした「南極星輝」と「麻姑献寿」が見られます。また、左護室の切妻には「迎城隍」の交趾焼の装飾が施され、掛け軸型の身堵には「八仙」を題材とした交趾焼の装飾が見られます。
拝殿内の両側壁面と神棚付近の左右両側には、それぞれに水墨画による人物壁画が飾られています。拝殿は「其寿無極」と「招財進宝」、神棚は「群仙宴会」と「竹林七賢」を題材としており、すべて台南の名画家陳玉峰(1900~1964)の息子、陳寿彝(1934~2012)の遺作です。作品には水墨画による人物画の伝統風格が漂い、簡潔で力強い線と美しい構図からは巨匠の奥深い技術が感じられます。
廟内で最も素晴らしい剪黏作品は拝殿内の両側壁面にあり、壁面上部には、水車堵と呼ばれる装飾がそれぞれ施されています。これは日本統治時代に改修が行われた際の作品で、三国志演義と古代中国の封神演義の物語を題材としており、作品は黒ずんではいるものの、完全な状態で保存されています。また、拝殿後部の左右壁面に施された剪黏による装飾「祈求」と「吉慶」は、日本統治時代の巨匠、陳天乞(1906~1990)の遺作です。作品には精巧な細工が施され、人物の表情や姿は生き生きと描かれています。
正殿の左右両側の壁面に施された大型の泥塑による装飾は、左側が「龍堵」、右側が「虎堵」です。日本統治時代の改修時に芸術家の陳天乞が制作した作品で、その非常に生き生きとした構図には優れた趣があります。背景は黒地で、近年改修が行われた際に改めて彩色が施されたことで、立体感が高まり、龍と虎の威風堂々とした姿が一層強調されました。
拝殿の正面には三川門があり、色絵が施された中門では、門神として描かれた「秦叔宝、尉遅恭」が鎧に身を包み、腰に弓矢を携え、威厳ある佇まいを見せています。精巧を極め今にも動き出しそうな作品は、画家の潘岳雄によるものです。
台北霞海城隍廟の最も有名な旧暦5月13日の「迎城隍・迎神賽会」の祝典は、1879年に起源を持ち、大稻埕の重要な信仰行事であると同時に、台湾北部の一大宗教行事でもあります。その規模の大きさは「北港の迎媽祖、台北の迎城隍」と称されるほどです。祝典では、将兵の配置、生誕祝い、暗訪、迎城隍、梁皇法会、将兵の撤収、演戯などが順に行われ、七爺、八爺、文判官、武判官などの神様が巡行に出て圧巻の迫力を感じさせます。このことから「五月十三人看人、迎神賽会甲天下」のように、その盛況は天下一の「迎神賽会」であると讃えられており、台北市の民俗行事として登録されています。
早期の大稻埕は台北で最も重要な経済発展の地域だったことから、遊郭が栄えていました。そのため、大稻埕の女性たちは城隍廟を訪れ、同じく女性の城隍夫人に夫が遊郭に出入りせず、家庭円満になることを祈願し、願いが叶うと、感謝の気持ちとして刺繍靴を城隍夫人に捧げました。その後、毎年旧暦9月4日の城隍夫人生誕日に、靴とケーキを持ち城隍夫人の生誕を祝う伝統風習になりました。