景観の価値
日本統治時代当時、日本人と豪商のための教会でした。礼拝堂は台湾総督、児玉源太郎の間接的な支援のもと、日本統治時代の総督府営繕課の著名な建築家、井手薫が建築と設計に携わり、井手薫にとっては台湾で最初の建築作品となりました。礼拝堂には塔が併設され、ゴシック建築を模しており、精巧な唭哩岸石と「台湾煉瓦株式会社」製造の赤レンガを使用し、赤と白が交互に配置されていて、日本統治時代の大正年間に見られる赤レンガ使用の建築様式の一つで、台北に現存する初期のキリスト教建築であり、台湾で唯一魚鱗銅瓦を使った教会でもあります。
歴史と沿革
日清戦争(1894年)の後、教派のない「基督信徒一致会」から河合亀輔(1867~1933)牧師が派遣され、1896年に台北で宣教活動を始めました。同年9月、キリスト教徒の商人、李春生(1838~1924)と馬偕(1844~1901)博士の支援を得て、現在の西門町漢中街に集会所を持つようになりました。同年11月、日本基督教会大会から派遣された伝道局長、大儀見元一郎(1845~1941)は台湾を視察し、前身となる「台北日本基督教会(台北教会)」の設立を正式に決定しました。明治、大正時代には、教会が急速な発展を遂げ、済南教会礼拝堂は台湾総督、児玉源太郎(1852~1906)の間接的な支援を得て、日本統治時代の総督府営繕課の著名な建築家、井手薫(1879~1944)が建築と設計に携わり、1916年に塔が併設されたゴシック建築の礼拝堂が完成しました。その後1998年には、台北市政府によって「市定古跡」に指定されました。
特色あるナビゲーショ
1ゴシック建築を模した建築様式
建築材料には唭哩岸石と「台湾煉瓦株式会社」製造の赤レンガを使用し、赤と白が交互に配置されています。外観はイギリス・ヴィクトリア朝の田舎の教会を思わせる簡素で美しい様式です。教会の脇の鐘楼の四隅には浮壁があり、礼拝堂の目印となっています。礼拝堂上部の尖った屋根は、正面に大きな切妻が設けられ、最上部には十字架が立てられています。また、建物全体に形状や大きさの異なる金属製の窓枠があり、そこに様々な模様の型板ガラスや霞がかったガラスが備え付けられています。熟練の建築設計で、台湾の近代キリスト教建築の中でも優れた作品です。
2四つ葉の装飾
済南教会礼拝堂には、内部と外部に四つ葉の装飾が見られ、それぞれマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4福音書を表していると言われています。
3白と淡い紫を基調とした礼拝堂
礼拝堂内は白と淡い紫を基調としています。講壇には台座と机、椅子だけが置かれ、3つのアーチが聖壇上部を飾り、その中央には十字架が置かれています。また、アーチの上部には台湾基督長老教会の「燃えているのに燃え尽きない」のロゴが飾られています。礼拝堂内部は鉄筋の梁が露出した構造で、中が空洞になっていることで、梁の重厚感が抑えられると同時に、天井が高く感じられます。
4五つのパンと二匹の魚の装飾
キリスト教徒によって2000年間伝えられてきた奇跡「五つのパンと二匹の魚」の装飾が教会の両側に施されています。
5石製のブラインド
鐘楼には石材を積み重ねたブラインドによる装飾が施されています。実はこのブラインドは通気用のものではなく、鐘楼の装飾に伴う変化を調和するためだけに取り付けられたものです。
6礼拝堂竣工記念碑
日本統治時代の1916年に完成した礼拝堂には、当時作られた日本語の銅製「竣工記念碑」が残されており、入り口右側の壁面にはめ込まれています。その碑文には「教会は基督の体なり。愛は衆徳の帯なり。」と記されています。
7魚鱗瓦日本統治時代の建築物に多く使用される材料の一つで、防水を目的に屋根に使用されていました。現在は製作する職人がおらず、生産されていません。現在、台湾で魚鱗瓦を使った教会は済南教会のみとなっています。
ひとことアドバイス
火曜日から金曜日の午前10時から午後2時まで一般開放され、ガイドスタッフが常駐しています。団体でお越しの場合は事前にご予約ください。教会の礼拝時間は日曜日の午前9時から10時30分までです。
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