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金門浯島迎城隍

台湾の離島で最も盛大な廟会
金門浯島迎城隍
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所在地: 金門県金城鎮光前路40号
経 緯 度: 118.31605,24.43234
料金: 無料
利用できる日:
年中無休
利用できる時間帯:
午前9時~午後9時
主催機関: 金門浯島迎城隍
関係機関のURL: 
E-mail: 
お問い合わせ: (082)325-939

景観の価値

台湾の離島で最初に国の重要民俗行事に指定され、収契子銭、送頭、掛水牌、送仏帖、盛大な巡行といった全ての過程が管轄地域の住民の生活に直結しており、祭典の内容には地域住民の生活と文化の特色が表れています。巡行の隊列は、神輿、芸閣、人力蜈蚣座、打花草、神将など、どれも地域住民によって自発的に組織・訓練が行われることで地域の文化として深く根付いており、この地方における閩南文化・芸能の特色が強く表れているほか、数多くの進香団の隊列と沿道に設置される香案が祭典に参加する信徒を出迎える様子からは島民の団結力が感じられます。

歴史と沿革

金門県浯島城隍廟は金門地区の住民から信仰の中心の一つとして親しまれており、明朝末期に建設され、清朝時代と1945年の台湾光復後に幾度もの改修が行われ、1993年に一度取り壊された後、規模を拡大して再建されたことで現在の外観が築き上げられました。有名な金門浯島迎城隍の起源は、金門千戸所城の城隍廟に設置されていた金門鎮総兵署が1680年に後浦に移されたことに伴い、旧暦4月12日に城隍爺が後浦に分霊されて祀られ、以来この日が後浦城隍爺の生誕日とされたことに由来し、そこから旧暦4月12日の盛大な迎城隍の祭典が生まれ、現在まで330年にわたって受け継がれてきました。毎年3月末の開催期間を迎えると、各地から篤い信仰心を持った人々が次々と廟内に集まり、線香をあげて幸福を祈願する様子が見られます。1949年、台湾・中国間の情勢が緊迫化したことで迎城隍は一度中止されましたが、1952年に再び執り行われるようになりました。近年では観光の推進を目的に、迎城隍の祭典に文化・産業を取り入れ、年々規模が拡大しており、各地の城隍神が金門で一堂に会するだけでなく、2011年の廟会では千人規模の蜈蚣陣がギネス世界記録を打ち立てています。金門浯島迎城隍は2013年に国の重要民俗行事に指定されています。

特色あるナビゲーショ

金門浯島迎城隍平面図で標示金門浯島迎城隍各ガイド項目、ガイド項目5ページ、詳しいコンテンツは下をご覧ください。
1大迎と小迎

巡行以前の金門浯島迎城隍では、市街地の四方を巡行する「小迎」が毎年一度行われ、金城鎮の大部分に加えて金寧郷の一部の村まで巡行範囲が拡大される「大迎」が3年から5年に一度行われていました。1950年代以降は小迎のみが行われ、大迎が行われることはありませんでしたが、2016年に地元住民によって巡行範囲の拡大が提案されました。毎年行われる「小迎」では、後浦城の四方の東門、西門、南門、北門を巡行し、西・北門または東・南門が順番にその年の境主を務め、進香団の隊列は逆方向に向かって一周巡行します。

2迎城隍の流れ

金門浯島迎城隍は毎年「収契子銭」で幕を開け、最終日の巡行までの17日間の日程が以下の流れで行われます。
一、旧暦3月26日、収契子銭:収契子銭とは、信徒の家族内に神様に契子(契子とは義子のことで、城隍爺に契子として迎えられると、加護を得て平穏無事に成長できると言われている)として迎えてもらいたい子供がいる場合、旧暦3月26日以降、城隍廟に赴いて1年分の「城隍爺契子銭」と呼ばれるお金を納めます。契子銭は廟会や祭祀の経費に使用されます。
二、旧暦4月1日、掛水牌:廟内に水牌と呼ばれる板が掛けられます。水牌には、誰に向けたものであるかを示す「敬請文武判二爺」、「敬請范謝二将軍」、「敬請董李排爺二爺」、「敬看馬「帯馬」」などの内容と支給金額が記されます。水牌に名前が貼り付けられている場合、その人がその金額を負担することを意味します。
三、旧暦4月1日、送仏帖:仏帖とは神様の間で送られる「招待状」です。その年の城隍廟の境主が後浦城内の各寺院と豊蓮山牧馬侯祠に仏帖を送り、神様を祭典に招待します。
四、旧暦4月1日、送頭:その年の境主の地域の住民が儀式と祈願に使用する紅亀粿、城隍爺の神像、紙銭などを準備します。
五、旧暦4月9日、請仏:その年の境主が鑼鼓陣など、神様を出迎えるための隊列を率いて各寺院を訪れ、城隍廟の廟会に参加する神々を出迎えます。
六、旧暦4月12日、巡行。
 

3托灯

托灯香陣の隊列の中で西門地域の陣頭に属する「托灯」は、表面に標準の字体で「浯島城隍敕封顕佑伯」と記された細長い灯籠で、背面には色絵による龍の紋様と「合境平安」の文字が記されており、これを「親勇」と呼ばれる人が掲げます。色鮮やかな縁起の良い装飾が施された托灯は、幸福と平安を祈願する金門島迎城隍の特色を表現しており、同時に城隍爺の威厳を象徴しています。

4鄭元和に扮する「打花草」

鄭元和に扮する「打花草」「打花草」は迎城隍の陣頭の見どころの一つに挙げられます。主役となる7人から12人の子供が伝統劇の登場人物である生、旦、花婆、乞丐などの役に扮し、南管という楽器が「三千両金」を伴奏する中、名作『繍襦記』の登場人物・鄭元和が科挙を受けるため京に赴いたものの、試験に合格できずに遊郭に溺れ、ついには乞食に身を落としたという伝奇物語を演じます。役を演じる男の子は上半身裸になり、顔と体にペイントを施し、胸と太ももを叩きながら面白い動きを見せてくれます。前進する陣頭に合わせて移動しながら行われるパフォーマンスは街頭劇を彷彿とさせ、全身を使ったユーモアあふれる表現が特徴的です。打花草は台湾で他に類を見ない唯一無二の陣頭です。

5人力蜈蚣座

人力蜈蚣座人力蜈蚣座は金門浯島迎城隍の西門地域特有の陣頭で、人力で蜈蚣座を担ぐという伝統的な方法が採られている点が特徴で、古くから神様の巡行に参加しています。戦争の影響で規制を受け、1949年以降は巡行へは途切れ途切れの参加となっていましたが、1981年からは毎年巡行に参加しています。蜈蚣座は長さ2メートルの節が16節連なり、各節に座席が2つあるため、民間伝承や忠孝節義の物語の登場人物に扮した子供が32人座ることができます。かつて蜈蚣座は労力を省くために車輪式に変更されたことがありましたが、伝統を受け継ぐために再び人力で担ぐ形式に戻されました。化粧をして座席に座る子供たちは、巡行隊列における注目の的となります。

ひとことアドバイス

城隍廟は毎日午前8時から午後5時まで一般開放されています。迎城隍は旧暦4月12日に開始され、金門県政府主催の芸陣博覧会や獅王争覇賽などの様々な催し物も行われ、開催期間は1ヶ月にも及びます。

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