南投県の登瀛書院は文昌祠とも呼ばれ、歴史を感じさせる外壁に囲まれた、古風でもの静かな書院です。建物は単進(一の字の形をした1棟)の三合院様式で、中央には三開間(幅が柱4本)の正殿が、その両側には7部屋の廂房があります。正殿と廂房の間には過水(通用門)があります。建物全体は外壁によって囲まれています。屋根の陶製装飾は非常にシンプルなスタイルです。このように簡素な建物であるのは、創建当時の資金が十分ではなく、地元名士の寄付のみで建てられたからです。そのため台湾の他の書院と比較しても、コンパクトな書院となっています。 しかし、規模こそ小さいものの、書院建築としては最も完全な建物であると評価されています。現在まで100年以上の間に何度か行われた大規模改修は、いずれも元の建物の形は保ったまま行われました。正殿の構造も一切変わらず、元々の日干し煉瓦もそのまま使われています。両側の斎舎の数も変わっていません。このように建設当時の様子がそのまま残されている書院は極めて珍しく、非常に貴重な文化遺産だと言えます。
左翼の扉の額にあるバナナの葉の形をした粘土の彫刻には、詩が描かれています。
魁星魔法のペンは、魁星アカデミーの素晴らしい工芸品であり、貴重な文化財と言えます。
ローリングシェッドの左右のフレームの細かい仕上がり
歩道の朱色の漆塗りの柱、絶妙な木彫りの吊り樽は、主に青と白で描かれています
本堂前の皇室石彫像は雄大で、儒教寺院や文昌宮のほとんどに皇室石彫りが見られます。
真ん中の棟の背骨が丸まってベタベタしていて、龍の丸まりと屋根の尾根のダブテールカーブが優雅なラインに溶け込んでいます。
神社の上には多くの楯が吊るされており、その中でも大正15年(1926年)の改修に捧げられた「文雲楯」、創立時に吊るされた「学と教えの楯」。