通霄神社は昭和12年(1937年)に虎頭山に建てられ、天照大神と北白川宮能久親王を祀っていました。神社全体が山の斜面に沿って建てられ、下から順に一の鳥居、手水舎、両側に石灯籠の立つ参道、二の鳥居、拝殿、幣殿、本殿と続き、さらに神官の宿舎や社務所などの付属施設もありました。 戦後、通霄神社は拝殿と社務所を残してほとんどが取り壊され、革命に殉じた烈士を祀る通霄鎮忠烈祠とされました。革命烈士のほか、鄭成功も祀っていることから、地元では「鄭成功廟」とも呼ばれています。現在、神官宿舎と社務所は傾いて危険な状態です。手水舎などの建物は元あった位置さえもわからず、幣殿は用地の跡、本殿は基壇が残されるのみとなっています。
礼拝堂を通過した後は本堂となり、現在は台座のみが残っています
礼拝堂の尾根には国章があり、殉教者の神社のシンボルとなっています。
礼拝堂の前には2つ目の鳥居があり、現在は殉教者の神社として使われていますが、土台は日本時代の古い建造物です。
本堂の台座から礼拝堂を見下ろすと、その屋根は三本の川の尾根の四つの斜面のようになっています。
礼拝堂前の小道の左右には保存された石灯籠があります
鳥居の柱には昭和12年(1937年)と4月22日の創立日が刻まれています。昭和12の言葉は消されています。
社会事務局は半廃状態で、一時的に鉄骨小屋で保護されており、過去に住んでいた住民もいましたが、移転しました。