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景美集応廟

景美集応廟
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3度の改築を経て、現在は「両殿両廊両護龍」(大殿が2棟、廊下が2本、両脇に2棟)という標準的な配置となっている
文化財分類: 史跡
所在地: 台北市文山区景美街37号
登録告示年月日: 2021/09/23
経緯度: 121.54183,24.99169
指定機関: 台北市

指定/登錄理由

特色あるナビゲーショ

景美集応廟は双忠(尪公と保儀尊王)を主神とする廟で、清の咸豊10年(1860年)に建設されました。清の康熙末年に高氏、張氏、林氏の3氏の氏族が海を渡って台湾に移住し、双忠信仰を台湾にもたらしました。その後、3氏は自立して、それぞれ廟を建てました。景美集応廟は高氏一族が建てた廟で、ここに祀る尊王聖像は、台湾に渡る際に福建省安渓大坪集応廟から分霊したものです。景美地区に暮らす安渓人の信仰の中心であり、また彼らの開拓と景美地区の発展を体現しているという意味でも、大変重要な場所です。 景美集応廟は清の同治6年(1867年)に現在の場所に移されました。3度の改築を経て、現在は「両殿両廊両護龍」(大殿が2棟、回廊が2本、両脇に2棟)となり、柱が整然と並んだ左右対称の厳密な配置となっています。建物は繊細かつ優美で、棟上の燕尾、降り棟の草花や人物の彫刻は、どれも精巧に彫られています。また、廟内の扁額、碑文、龍柱、石彫、彩色画なども、昔の姿が完全な状態で残されています。

發展源流

主要特色


礼拝堂の左側にある龍堵による大規模なコーチン陶器作品
礼拝堂の左側にある龍堵による大規模なコーチン陶器作品
扉神許連成の傑作(1919-2002)
扉神許連成の傑作(1919-2002)
大正13年(1924年)に初めて修復されたプラーク
大正13年(1924年)に初めて修復されたプラーク
清朝の同治帝6年(1867年)に完成した寺院です。
清朝の同治帝6年(1867年)に完成した寺院です。
三川ホール入口の八角形の柱
三川ホール入口の八角形の柱
三川寺正面玄関の南福建石獅子
三川寺正面玄関の南福建石獅子
三川寺口の虎の横にある「虎ブロック」
三川寺口の虎の横にある「虎ブロック」
三川寺のふもとにある龍の横にある「龍ブロック」
三川寺のふもとにある龍の横にある「龍ブロック」
三川殿の中央ドアの両側にある中空の石の窓
三川殿の中央ドアの両側にある中空の石の窓

パノラマ

    周辺のデータ