朝林宮は、屏東県潮州鎮の泗林里・四春里・崙東里の間にある、3つの里合同の村の廟です。この地域はかつては原住民平埔族の鳳山八社の一つである「力力社」でしたが、清の康熙年間から乾隆中期にかけ、朝廷からの人員配置と漢人による屏東平野の開拓の進展などにより、漢人の集落が増えていきました。朝林宮は地域の住民が献身の心に基づき寄付を集めて建設したもので、伝統建築として価値が高く、風水を意識した建物です。 建物の外は廟に見えますが、内部が祠堂の形になり、規模は小さいものの、必要な要素は全て揃い、両殿両護龍(中央2棟、左右2棟)の配置と外観が採用されています。朝林宮は、建設当時のこの地域の経済力の高さも物語っています。特に泗林里の大家族・陳氏の財力は抜きんでていました。朝林宮の土地も陳氏が寄付したものです。朝林宮のような3つの里共同の廟は台湾でもたいへん珍しいもので、また村内の廟の位置と伝統的な五営信仰の結界(村の境界を示して、その安全を守る台湾の民間信仰)との関係という文化的特徴も注目したい点です。
秦叔宝と尉遅敬の2人の将軍のドアパネルが塗装されています
寺院のシンプルな虎のブロックが水回廊の壁にちりばめられています
寺院のシンプルなドラゴンブロックが水路の壁にちりばめられています
カオリン宮殿は王子を祀っています。日本統治時代、政府は神々が浄土教または儒教の神であることを要求しました。王子と他の神々は帰国時に信者によって祀られなければなりません。寺院は一時的にマズを主神として祀っています。写真は当時の様子です。今日まで使用されていた天の聖母の香焒教は歴史的に重要です
本堂と前館の小石と部分屋根の切妻は小石で造られており、小石は小石が積み重なっており、バケツ、空のバケツ、薄いレンガでできたバケツレンガとも呼ばれます。箱型で、砂利、土、レンガで埋め尽くされているため、内部の一部が中空になっています
ギリシャのラナンキュラスの葉に似た洋風の装飾的な柱頭が水路にあります
主神である王子に捧げられた、カオリン宮殿のシンプルな礼拝堂
左護龍の「共同倉庫」の壁とレンガには明らかな塩の結晶があります。これはおそらく、日本の占領中の民間製品、肥料、塩の山の関係が原因であると考えられます。
カオリン宮殿の正面玄関のドアパネルの図と、屋根の棟の中央にある鯉の唾と火のドラゴンボールのカットアンドスティック装飾