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呉鳳廟

呉鳳廟
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呉鳳廟は間口が3開間(柱が4本立つ幅)で、二進二護龍(中央に平行した2棟と脇に2棟)の構造となっている
文化財分類: 史跡
所在地: 嘉義県中埔郷社口村23隣社口1号
登録告示年月日: 2021/09/23
経緯度: 120.54131,23.44602
指定機関: 嘉義県

指定/登錄理由

特色あるナビゲーショ

嘉義県の呉鳳廟は清の嘉慶25年(1820年)、通事公廨(原住民との連絡担当官の事務所)を改築した祠廟で、俗に阿里山忠王祠と呼ばれています。日本統治時代に大地震で倒れましたが、政府の援助と寄付によって再建され、5代と14代の総督も参拝に訪れました。戦後、数度改修を行い、1985年に拡張されて記念公園となりました。 呉鳳廟の建物は、他の廟ではあまり見られない、6本の立柱に支えられた歇山式屋根(入母屋造)が採用され、屋根平面部は六仮捲棚となっています。屋根の先端は跳ね上がり、装飾の陶人形や塑像も精巧で美しく、また大木構造も華麗です。特筆すべきは拝亭にある彰化県鹿港の名匠・郭新林(1902-1973年)の彩色画で、ぜひとも鑑賞したい作品です。

發展源流

主要特色


龍柱と石柱のある霧峰寺の外観
龍柱と石柱のある霧峰寺の外観
霧峰寺の外観は石で洗われており、外壁は龍や虎で塞がれています。
霧峰寺の外観は石で洗われており、外壁は龍や虎で塞がれています。
「霧峰寺石碑の改修」は昭和6年(1930年)に設立され、その創作の始まりと終わりを詳しく解説しています。
「霧峰寺石碑の改修」は昭和6年(1930年)に設立され、その創作の始まりと終わりを詳しく解説しています。
1949年に寺院の再改正で蔣介石が言及した吊り下げ式の飾り板
1949年に寺院の再改正で蔣介石が言及した吊り下げ式の飾り板
後陣の建物の外観
後陣の建物の外観
霧峰寺正面(1954年)「霧峰寺再建寺碑」
霧峰寺正面(1954年)「霧峰寺再建寺碑」
後陣の真ん中で、呉鳳凰の神が崇拝されています
後陣の真ん中で、呉鳳凰の神が崇拝されています
正面玄関は白馬に乗って呉鳳凰を崇拝し、赤と赤のローブを着た呉鳳凰の肖像画
正面玄関は白馬に乗って呉鳳凰を崇拝し、赤と赤のローブを着た呉鳳凰の肖像画
霧峰寺院のアーチ
霧峰寺院のアーチ

パノラマ

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