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北港義民廟

北港義民廟
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北港義民廟は3ベイ幅です
文化財分類: 史跡
所在地: 雲林県北港鎮義民里旌義街20号
登録告示年月日: 2021/09/22
経緯度: 120.30280,23.56797
指定機関: 雲林県

指定/登錄理由

特色あるナビゲーショ

義民とは、地域を守るために犠牲になった一般人を指す言葉です。雲林県の北港義民廟には、清の乾隆年間に林爽文の乱で犠牲になった108人の義民と1匹の忠犬が祀られています。乾隆53年(1788年)にこの義民公と義犬将軍を祀る「旌義亭」が建てられ、犠牲になった旧暦5月30日が義民廟の例祭日とされました。その後、清の同治年間に戴潮春の乱で犠牲になった36人の義民も合祀し、「義民廟」と改名しました。 北港義民廟は廟と墓が結びついた墓廟建築です。林爽文の乱で亡くなった義民の墓は正殿の明間(中央の部屋)の後方にあり、墓碑は直接明間の裏の壁にはめ込まれています。廟と墓が隣り合わせに並び、戴潮春の乱の義民墓は義民廟の左右両側にあります。主な建物は両落(平行した2棟)と左右の護室です。三川門と正殿の間には回廊や中庭はなく、両者はつながっていて、ほの暗く厳粛な雰囲気に包まれています。

發展源流

主要特色


イーミン寺院の両側には墓があり、大朝春事件の犠牲者は埋葬されています
イーミン寺院の両側には墓があり、大朝春事件の犠牲者は埋葬されています
三川門と本堂が一体となった空間
三川門と本堂が一体となった空間
林双文事件の犠牲者の墓は四隅の尖塔のような形をしています
林双文事件の犠牲者の墓は四隅の尖塔のような形をしています
北港義民廟は「墓と寺院が一つになっている」建物で、明代の本堂とつながっています。
北港義民廟は「墓と寺院が一つになっている」建物で、明代の本堂とつながっています。
義犬将軍の隣のキャビネットは、両親から感謝された子供服でいっぱいです
義犬将軍の隣のキャビネットは、両親から感謝された子供服でいっぱいです
義民廟前の祭壇台の表面にある犬の頭は、李犬将軍の信仰を反映しています。
義民廟前の祭壇台の表面にある犬の頭は、李犬将軍の信仰を反映しています。
神社の上に吊るされた「ジンイー」の飾り板「ジンイー」は、乾隆帝52年(1787年)に清王朝の宮廷から、林双文事件の鎮圧に貢献した泉州国籍の人々を表彰するために授与されました。
神社の上に吊るされた「ジンイー」の飾り板「ジンイー」は、乾隆帝52年(1787年)に清王朝の宮廷から、林双文事件の鎮圧に貢献した泉州国籍の人々を表彰するために授与されました。
日本統治8年目の昭和8年(1933年)、北港鎮八庵の「金義劉芳」に捧げられた楯は、北港鎮玄協会です。
日本統治8年目の昭和8年(1933年)、北港鎮八庵の「金義劉芳」に捧げられた楯は、北港鎮玄協会です。
日本統治8年(1933年)、西部吹奏楽団である北港鎮生音楽アンサンブルから贈られた楯。
日本統治8年(1933年)、西部吹奏楽団である北港鎮生音楽アンサンブルから贈られた楯。

パノラマ

    周辺のデータ