天上聖母を主神として祀る南瑶宮は、台湾における媽祖信仰の聖地としてよく知られています。言い伝えによると、清の時代に一人の陶工が嘉義県の笨港天后宮の香火を携えて彰化県城南門外にやってきたのが始まりで、乾隆年間に信者が廟を建てて天上聖母像を祀り、南門の「南」と瓦磘の「磘」と同音の「瑶」の字を合わせて「南瑶宮」と呼んだのだと言われています。媽祖信仰の源流は笨港にあります。そのため、南瑶宮では清の嘉慶年間以来毎年笨港への巡礼を行っており、南瑶宮には各地の信者が組織した媽祖会が数多く存在しています。 南瑶宮は、中心線に手前から三川門、正殿、観音殿、凌霄宝殿、左右に護龍(両側の部屋)、過水(通路)、檐廊(軒下の廊下)、香客楼(宿坊)があります。南瑶宮の建築群はこのような数棟の建物によって構成されています。各建築は異なる時代に建てられたため、形式やスタイル、配置などがいずれも異なっています。なかでも特徴のある建物と言えば、西洋建築と日本建築が融合した観音殿です。これらの建築群は、台湾における建築の発展過程を示しています。
南瑶宮の観音堂の建築様式は、南瑶宮の建築的特徴である本堂や三川門とは大きく異なります。
観音菩薩の両側の壁にある粘土の彫刻メダルは、18の羅漢を祀っています
観音菩薩の明建神社は観音菩薩を祀っているので、正面図には「誠意をこめてこの場所はプトゥオ」と書かれています。
聖母マリアに捧げられたメインホールで休む山の二重軒
プラーク「天国と同じ奉仕」は、清王朝の光緒7年(1881年)に清徳宗南部研究の漢林によって書かれたプラークです。
出入り口の装飾はもともと日の丸と日の丸でしたが、戦後は中華民国の国旗に変更されました。
三川門の真ん中の葉は金色の龍で描かれており、空に浮かぶ聖母の高貴な神性を象徴しています。
1988年に寺院の前に4本の柱と3ドアのアーチが建設されました