台南開基霊祐宮は小上帝廟とも呼ばれています。日本統治時代の寺廟台帳には、清の康熙10年(1671年)の創建との記載があります。清代の建物配置は三落(3棟の平行した建物)で、後殿には台湾府知事蒋毓英が祀られていました。この後殿は日本統治時代初期に倒壊し、昭和7年(1932年)に明治公学校の校舎拡張のため、(前後の向きを変えて)三川門を正殿に改築し、現在の拝亭つき両落両廊(2棟の平行した建物と2本の回廊)の形式となりました。 霊祐宮の主神は北極玄天上帝です。玄天上帝は北極星信仰から生まれた神であり、また、漢人の五行思想においては、北方は水、水の色は黒とされています。そのため、玄天上帝を主神とする霊祐宮の塗装は、一般的な廟の赤を基調とした配色とは異なり、「柱は黒、梁は赤」の配色となっているのがユニークです。 2004年の修復工事では、三川門の壁から旧正殿の清水煉瓦の壁や門の垂花、短柱などの跡が見つかりました。現在も保存されているそれらの遺跡からは、霊祐宮が実際どのように方向転換したのかわかります。
史跡の修復は、遺物を展示し、壁の方法を提示する方法を採用しています
元の本堂の遺跡は三川門の壁にあり、寺院の向きの変化の歴史を裏付けています
開基霊祐宮は、北方の神スアンティアンの信念を反映した「黒い柱と赤い梁」の方法を採用しています
開基霊祐宮の本堂には、龍の柱に虎の頭のカードが掛けられており、「公会堂」と「騒音なし」と書かれています。
本堂は広い部屋が3つあり、扉のない開放的なホールです。
開基霊祐宮の絵画は、アーティストの潘岳雄(1943-)によるものです
台南開基霊祐宮の主神は玄天上帝です、また小上帝廟とも呼ばれています