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佳里震興宮

佳里震興宮
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佳里震興宮の正面図
文化財分類: 史跡
所在地: 台南市佳里区禮化里佳里興325号
登録告示年月日: 2021/09/23
経緯度: 120.18848,23.19106
指定機関: 台南市

指定/登錄理由

特色あるナビゲーショ

佳里興は昔海辺の村であり、元々はシラヤ族の居住地で、鄭氏政権時代には東都承天府天興県の管轄下にありました。先人たちがこの地を開拓するにつれ、福建省安渓の人々は「清水祖師」の像を携えて佳里興に移住しました。そして、村人がいつでも参拝できるように仮設の公厝(共同の礼拝所)を作って像を祀りました。清の雍正元年(1723年)、住民たちは資金を集めて礼拝所を廟に建て替え、「清水宮」と名付けました。また、「雷府大将」と南鯤鯓代天府から分霊した「李府千歳」も一緒に祀り、三神合祀となり、文化的に非常にユニークな廟になりました。この清水宮が今の震興宮の前身です。 清の同治7年(1868年)、清水宮は大地震で損壊してしまいましたが、長老の呼びかけで資金が集められ、修築と増築が行われると同時に、名称も「震興宮」と改められました。この拡張工事では、交趾焼の第一人者・葉王に水車堵(軒下の壁)の装飾を依頼しました。そのため、「八仙過海(八仙が海を渡る)」、「七賢過関(竹林の七賢が関を通る)」、「憨番扛廟角」(憨番が廟の角を担ぐ)」等のすばらしい交趾焼の作品が数多く残されており、芸術的にも重要な場所となっています。

發展源流

主要特色


清王朝の光緒14年(1888年)に設立された禁断の聖約石碑
清王朝の光緒14年(1888年)に設立された禁断の聖約石碑
蔡草如(1919-2007)のドアの神の絵
蔡草如(1919-2007)のドアの神の絵
陈任水と蔡草如は共同で「流しを運ぶ縁起の良いライオン」と「垛仁」の作品を制作しました。
陈任水と蔡草如は共同で「流しを運ぶ縁起の良いライオン」と「垛仁」の作品を制作しました。
王宝源寺屋根せん断棒
王宝源寺屋根せん断棒
葉王の「博古通金」のコーチン陶器
葉王の「博古通金」のコーチン陶器
葉王の「七賢過関(竹林の七賢が関を通る)」のコーチン陶器
葉王の「七賢過関(竹林の七賢が関を通る)」のコーチン陶器
葉王の「八仙過海(八仙が海を渡る)」のコーチン陶器
葉王の「八仙過海(八仙が海を渡る)」のコーチン陶器
葉王は、三川殿の右側にある「憨番扛廟角」を使用しました
葉王は、三川殿の右側にある「憨番扛廟角」を使用しました
葉王は、三川殿の左側にある「憨番扛廟角」を使用しました
葉王は、三川殿の左側にある「憨番扛廟角」を使用しました

パノラマ

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