観音禅堂は、元は曹洞宗大本山台湾別院の一部でした。同院が大正3年(1914年)に改築された際、台湾人僧侶の孫心源が別院の隣に台湾人信者用に礼拝や観音講大会を行う建物を造ることを提案し、準備や資金集めを始めました。建物は大正6年(1917年)に完成して「観音禅堂」と名付けられましたが、戦後は東和禅寺と改名されました。 観音禅堂の主要建築は一殿両廂(中央の殿宇と左右の建物)の三合院建築で、正殿には釈迦如来像が祀られ、僧侶たちの共同修行する場所となっています。建築様式は、日本式寺院建築の曹洞宗大本山台湾別院とは異なり、地元台湾の漢式建築が採用されています。観音禅堂は、日本統治時代の台湾における日本仏教布教の過程と、日本仏教の台湾社会・文化への融合を示しています。
禅堂の外に建てられた地蔵菩薩の石像は、台湾の元の像とはスタイルが大きく異なります。背面には「石積み富士オリジナル作品」が刻まれています。昭和6年7月(西暦1931年)に完成し、現在もそのままです。
本堂の神社に掲げられた楯「ワンドパーフェクション」は、永平寺67代の禅師元鳳が書いたものです
海山館には他の病院の学部長(僧院長)の古い写真がたくさん飾られています
本堂にある観音菩薩の3体の銅像は、日本占領期の中庭の学部長である孫心源に日本人から贈られました。
入場前には「仙台荒井大地献身」と刻印された眉犬が2匹います。
寺院の前の龍の柱には、何世紀にもわたって受け継がれてきた古代の遺物である「大正4年目に立秋義馬によって設立された」と刻まれています。
日本の庭園文化を象徴する石灯で、日本語で「禅」の文字が刻まれています