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曹洞宗大本山台湾別院鐘楼

曹洞宗大本山台湾別院鐘楼
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曹洞宗大本山台湾別院鐘楼の正面図
文化財分類: 史跡
所在地: 台北市中正区仁愛路、林森南路口
登録告示年月日: 2021/09/23
経緯度: 121.52212,25.03902
指定機関: 台北市

指定/登錄理由

特色あるナビゲーショ

曹洞宗大本山台湾別院は日本の曹洞宗の二大本山である永平寺及び總持寺の台北別院です。曹洞宗は禅宗の宗派で、日本統治時代に日本軍とともに台湾に伝わりました。台北での布教に成果があったことから、明治40年(1907年)に布教師山田祖学の呼びかけで別院が建立され、大正10年(1921年)に鉄筋コンクリート製に改築されました。 別院の鐘楼は石積みと鉄筋コンクリートの2階建てで、1階は通路となり、2階には銅鐘が掛けられています。銅鐘は大正9年(1920年)に京都の高橋才治郎によって鋳造されたもので、現在まで保存されてたいへん貴重なものです。 仏教において鐘は重要な法器です。日本では室町時代になると鐘楼と山門を合わせた鐘門も生まれました。特定の祭日にこの鐘を鳴らして祈祷するのです。曹洞宗別院鐘楼の鐘は重厚で余韻のある音がします。また、建物も美しく、日本統治時代の寺院建築の名作と言えるでしょう。

發展源流

主要特色


曹洞宗大本山台湾別院の中庭には鐘楼しかありませんが、中庭の元の場所と元の建物は1993年に取り壊され、現在時計台の裏にある北石青少年レクリエーションセンター
曹洞宗大本山台湾別院の中庭には鐘楼しかありませんが、中庭の元の場所と元の建物は1993年に取り壊され、現在時計台の裏にある北石青少年レクリエーションセンター
曹洞宗大本山台湾別院の鐘楼の下側の台座は、中央の出入り口の周りに対称的に広がっています。中央の出入り口の左側と右側にも、水平方向に連絡できる出入り口があります。
曹洞宗大本山台湾別院の鐘楼の下側の台座は、中央の出入り口の周りに対称的に広がっています。中央の出入り口の左側と右側にも、水平方向に連絡できる出入り口があります。
時計塔の本体は、日本の伝統的な仏教建築様式に従って、木を模した鉄筋コンクリートで作られています。
時計塔の本体は、日本の伝統的な仏教建築様式に従って、木を模した鉄筋コンクリートで作られています。
鐘楼の下には台座があり、台座の上にある台座がフラットシートになっています。フラットシートは高い柵に囲まれています。日本の伝統的な木造建築では、その建築形態が一般的です。
鐘楼の下には台座があり、台座の上にある台座がフラットシートになっています。フラットシートは高い柵に囲まれています。日本の伝統的な木造建築では、その建築形態が一般的です。
2階の白い外壁の内側には青銅の鐘がぶら下がっていて、外にはポーチがあり、ポーチの側面には平らな手すりが突き出ています。
2階の白い外壁の内側には青銅の鐘がぶら下がっていて、外にはポーチがあり、ポーチの側面には平らな手すりが突き出ています。
鐘楼は桃山から江戸時代までの日本の建築様式に属しています
鐘楼は桃山から江戸時代までの日本の建築様式に属しています
記念碑の説明板は、日本占領期のカオドンゾン大弁山台湾中庭の配置図を表しています。
記念碑の説明板は、日本占領期のカオドンゾン大弁山台湾中庭の配置図を表しています。
時計台の外に日本庭園文化を象徴する石灯籠が設置されました
時計台の外に日本庭園文化を象徴する石灯籠が設置されました
下の座席の中央が中央の出入り口で、出入り口のサイズは中央が大きく、両側が小さくなっています。
下の座席の中央が中央の出入り口で、出入り口のサイズは中央が大きく、両側が小さくなっています。

パノラマ

    周辺のデータ