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西徳堂

西徳堂
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西徳堂の主体は間口が3開間(柱が4本立つ幅)の2階建て木造単落(中央に1棟のみ)建築
文化財分類: 歴史的建造物
所在地: 台南市中西区文賢路36号
登録告示年月日: 2021/09/23
経緯度: 120.19465,23.00021
指定機関: 台南市

指定/登錄理由

特色あるナビゲーショ

西徳堂は斎教金幢派蔡公派の斎堂で、日本統治時代の明治30年(1897年)に建てられました。金幢派は王佐塘(1538-1619年)が明の万暦年間に創始した宗派です。その後、「蔡阿公」や「蔡公」と呼ばれる蔡文挙(生没年不詳)が福建莆田に移り住むと、蔡文挙一派の人は「蔡公派」と呼ばれるようになりました。清の道光年間には蔡公派は台湾に渡りました。 斎堂は菜堂ともいい、斎教信者が祭祀や集会を行う建物です。斎教は清朝政府から厳しく禁止された民間宗教で、そのため斎堂の多くは住居のような外観をしています。現在の西徳堂の建物は日本統治時代の大正10年(1921年)に建てられたもので、間口が三開間(柱が4つ立つ広さ)で単落(一の字の形をした1棟)の木造2階建ての建物となっています。主な祭祀の場所は2階にあります。2階の明間(主要な部屋)には木の衝立があり、衝立の前は三官庁、後ろは内家郷(三官庁、内家郷はそれぞれ神を祀る場所)となっています。内家郷は斎教で最も神聖かつ特殊な空間です。

發展源流

主要特色


右の2番目の部屋の中には木製の屏風があります。木製の屏風の前の犠牲スペースは第7祖先ホールと呼ばれ、地蔵菩薩の像と信者の死の錠剤が祠堂にあります。
右の2番目の部屋の中には木製の屏風があります。木製の屏風の前の犠牲スペースは第7祖先ホールと呼ばれ、地蔵菩薩の像と信者の死の錠剤が祠堂にあります。
2階の天蓋は片流屋根です
2階の天蓋は片流屋根です
2階の明室の左右に八角形の扉があり、2階に通じています。
2階の明室の左右に八角形の扉があり、2階に通じています。
2階の明建の木造の仕切り壁には龍と虎が描かれており、龍と虎の姿勢が鮮やかです。
2階の明建の木造の仕切り壁には龍と虎が描かれており、龍と虎の姿勢が鮮やかです。
2階の明建は釈迦牟尼像を祀る三宝ホールです。
2階の明建は釈迦牟尼像を祀る三宝ホールです。
1階明室のパネルドアは赤く塗られている
1階明室のパネルドアは赤く塗られている
西徳堂はもともと「西竺庵」と名付けられ、三宝ホールの中扉連句、上連句は「西竺」が率いていました。
西徳堂はもともと「西竺庵」と名付けられ、三宝ホールの中扉連句、上連句は「西竺」が率いていました。
西徳堂の門は2つの隣接する家の間にあります
西徳堂の門は2つの隣接する家の間にあります
西徳堂はコンクリートのジャングルにあり、中庭の門と中庭の壁が広い内部空間を定義しています
西徳堂はコンクリートのジャングルにあり、中庭の門と中庭の壁が広い内部空間を定義しています

パノラマ

    周辺のデータ