清泉崗には中華民国政府が台湾に移った際に軍が駐屯し、また同年の米華相互防衛条約(Sino-American Mutual Defense Treaty)締結に伴い、大量の米兵もここに駐留することになりました。清泉崗聖潔教会は、1963年、キリスト教を信仰する駐留兵の集会場として建設されたものです。蒋緯国将軍の協力を得て、スウェーデンの宣教師・文博牧師(Rev. E. John Oberg、生没年不詳)らの募金活動によって建設されたこの教会は、東西冷戦時代に軍事基地として発展してきたこの地域の歴史と深い関係があるのです。 清泉崗聖潔教会は、台中では数少ない歴史的教会建築であり、典型的な欧州建築の特徴を有するとともに、当時の地域的特徴と建築技術を反映しています。時代を経て、今日の聖潔教会は、放課後の学童の学習支援や、高齢者介護、海外出身の新住民の生活適応や原住民の生活支援等に取り組むなど、地域の暮らしの中心となっています。単なる歴史的建築物にとどまらず、コミュニティを結びつける役割を担っているのです。
聖潔教会は台中の清泉崗基地の中義共同体にあり、中義共同体はダヤ西区にあり、古くは「13ラオス(藔)」と呼ばれていました。
塗られた壁が色を広げ、この歴史的な建物の価値を高めています
屋外の中庭の大きな木の下のレクリエーションスペース
教会の正面玄関の上にある3つの尖ったアーチ型の窓の下には、「神」という言葉があります。これは、アジアの教会にとってユニークな伝道の方法です
赤レンガと石の洗浄方法で完成した伝統的なヨーロッパ式の教会は、1963年に清泉崗聖潔教会に建てられました。冷戦の歴史的発展と密接に関連しています。赤レンガの壁は赤漆で覆われ、修復されました。