陳徳星堂は台北の陳氏の宗祠(祖先を祀る祠)です。清朝時代は台北城文武街文武廟の東側にありましたが、日本政府がそこに台湾総督府を建てるため、陳氏と現在の場所の土地を交換したのです。一族が資金を集めて宗祠の再建を始めたのは大正元年(1912年)で、台湾の有名な木造建築家陳応彬(1864-1944年)の指揮の下、大正3年(1914年)に完成しました。 陳徳星堂の主要部は二落二廊二護龍(2棟の建物が平行し、回廊が2本、両脇に2棟)の構造をしており、正面の幅は7間、中央の主体部の幅は3間の典型的な「七包三」様式となっています。三川門(三つの門がついた正門)の龍の柱は、台湾でも比較的古い時代の双龍式龍柱です。また、屋根は四垂式で、高低差がつくことにより、貫禄と華やかさが加わっています。三川門には木構造の力学の美が表れており、陳徳星堂は名匠陳応彬の技の粋を集めたものと言えます。
本堂の壁には「儀式、義、正直、恥」などの言葉が書かれています。
三川門の前に趙壁があり、趙壁の中に中庭が建てられています。
三川門の中庭と本堂は、平日は幼い子供たちが遊べる空間で、先祖の名前を冠した陳の子孫が春と秋の第2回祭りを開催します。
陳徳興館に祀られている記念碑の名前と位置の比較表で、陳姓の子孫が祖先の記念碑を見つけやすくするために、フォームがメインホールに掛けられています
陳徳興館の本堂は、中中、周趙、妖夢の3つの神社に分かれています。